本書は、Robert O. Paxton, The Anatomy of Fascism, Alfred A. Knoff, Publisher, New York, 2004 の全訳日本語版です。ただし、30ページにおよぶ付録、"Bibliographical Essay"は、著者の了解のもとに割愛しました。ファシズムに関する研究をさらに深めるために検討の必要な文献を著者が案内している文章であり、著者としても、できればこの部分を含めて訳出してほしいと希望していたのですが、諸般の事情から、さしあたり刊行される日本語版では涙をのんでいただくことにしました。ファシズム研究のさらなる展開に意欲をおもちの読者諸賢は、割愛した付録の部分をも是非原書でお読みいただきたいと願っています。
著者ロバート・O・パクストンは、1932年、アメリカのヴァージニア生まれ、地元のワシントン・リー大学卒業後、オクスフォード大学で修士、ハーヴァード大学で博士の学位を取得、その後、カリフォルニア大学バークレイ校、ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校をへて、ニューヨークのコロンビア大学の歴史学教授として長く教鞭をとってきたファシズム研究の第一人者です。
パクストンは、研究成果を Parades and Politics at Vichy, Princeton University Press, 1966; Vichy France, Barrie and Jenkins, 1973; Vichy France: Old Guard and New Order, 1940〜1944, Columbia University Press, 1982(ロバート・O・パクストン『ヴィシー時代のフランス 対独協力と国民革命1940〜1944』渡辺和行・剣持久木訳、柏書房、2004年)、Europe in the Twentieth Century, Harcourt College Pub., 1985; French Peasant Fascism, Oxford University Press, 1997 などとして著してきました。このほかにも、大いに話題になったマイケル・マーラスとの共著 Vichy France and the Jews, Basic Books, 1981, ニコラス・ウォールとの共著 De Gaulle and the United States: A Centennial Reappraisal, Berg Pub. Ltd., 1994 などがあります。本書は、これらの著作全体の集大成として書き上げられたもので、パクストンの研究業績の頂点をなしています。そればかりか、本書は、その分析の冷静さ、緻密さからも推測できるように、ファシズムを研究しようとする者が今後避けてとおれない、この分野における現時点での世界最高峰にもなった一書だといっても過言ではないでしょう。
パクストンは、その多彩なファシズム研究の手がかりをヴィシー・フランスの考察からつかんだようで、この分野だけでも上記に見るように何冊かの著作を書いています。代表作は Vichy France: Old Guard and New Order, 1940〜1944 で、ここでかれは、ヴィシー政権がナチス・ドイツと協調してきたのは、ドイツ側から強制されたからというより、むしろヴィシー政権自体の自発的な判断によるものだったことを明らかにして、一躍有名になったのでした。
パクストンの研究は、ヴィシー・フランスの研究を基礎にしながら現代ヨーロッパ史全体へ、さらに今日にいたる現代世界史全体に見られるファシズムに類似するレジームの比較検討へと拡大していったようです。多くの研究者から高く評価されてきたパクストンのファシズムの定義は、そのようななかで醸成されてきたといえるでしょう。本書では、「ファシズムとは、民族共同体の没落、屈辱、被害者意識といったものに強迫されたかのように捕われた、あるいはまた、民族の統合、活力、純潔という代替すべきものをもって熱狂することを特徴とする、政治行動の一形態」と規定しています。しかも、パクストンによると、ファシズムとは、大衆的基盤をもつ政党が主導するものなのですが、そこには民族主義的武装集団が関与し、伝統的な保守派エリートとの協調関係が成立し、民主主義的自由は放棄され、倫理感も存在しなければ法的手続きも存在しないまま暴力が横行し、国内では民族浄化が、国外にたいしては拡張主義的戦争が追求される、というものです。かれは、ファシズムの予兆を未然に察知し、その成長を防止するためには、まずファシズムについて正確な知識をもつことが大切であり、そのためにもファシズムに安直な定義を与えるようなことがあってはならない、としています。この翻訳書が、現代史のなかに生きる日本の読者諸賢にとっても有意義なものになることを翻訳者として強く願わないではいられません。
パクストンは、現在、コロンビア大学の名誉教授として、ニューヨークに在住しています。
2007年2月