- 季刊・経済理論 第59巻第2号(2022年7月)特集◎経済学教育における政治経済学の役割
- 目次
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[特集◎経済学教育における政治経済学の役割]
- 特集にあたって 阿部太郎
- マルクス経済学はなぜ大学で教えられるべきなのか 佐々木隆治
- 経済学初級教育と経済理論:CORE版The Economyをめぐって 八木紀一郎
- 危機の時代に求められる俯瞰的経済理論と経済学教育 吉原直毅
[研究ノート]
- 資本形式論の方法 海 大汎
- 商品集積体と債権化から信用貨幣を導出する新しい価値形態論:or の関係で結びついた商品集積体を基礎として 岩田佳久
[書評]
- 海 大汎著『貨幣の原理・信用の原理:マルクス=宇野経済学的アプローチ』 結城剛志
- 今野晴貴著『賃労働の系譜学:フォーディズムからデジタル封建制へ』 松浦 章
- 芦田文夫著『「資本」に対抗する民主主義:市場経済の制御とアソシエーション』 小松善雄
- 柴田 努著『企業支配の政治経済学:経営者支配の構造変化と株主配分』 嶋野智仁
[書評へのリプライ]
- 拙著『「共産党宣言」からパンデミックへ』に対する佐々木隆治氏の書評へのリプライ 森田成也
- 『資本主義動態の理論:景気循環と構造変化』に対する江原慶氏の書評へのリプライ 宮澤和敏
経済理論学会 第70回(2022年度)大会案内 大会準備委員会委員長 岩田佳久
経済理論学会 第70回(2022年度)大会プログラム 大会準備委員会
論文の要約(英文)
刊行趣意・投稿規程
編集後記 羽島有紀
- 特集にあたって
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学術会議「参照基準」をめぐる議論が行われて早十年を迎えようとしている。最終的には、「標準的アプローチ」とされているものへの一元化を回避し、歴史や制度などを重視するアプローチも尊重されるような内容に落ち着いた。しかし、異なる学派間の交流が現在よりも行われていた研究者世代の引退が進むと共に、新自由主義の社会への浸透の強まりなどもあり、「標準的アプローチ」への一元化の流れはむしろ強まっているように感じる。「標準的アプローチ」の様々な有用性を否定することはできないが、一方でその一元化による弊害が依然として危惧される。
この特集を組んだきっかけは、経済学部を中心とした大学教育に十数年携わってきた中での個人的な経験にある。「標準的アプローチ」を信奉する経済学者が、稼ぐ力をつけて企業に選ばれる人材になり、資本主義社会での競争に勝ち抜くよう学生を鼓舞する場面にたびたび遭遇してきた。「標準的アプローチ」の底には、市場競争が社会を進歩させるというわかりやすい信念が存在するということなのかもしれない。それに加えて、少子化などで大学間競争を強いられている一部大学では、「有名企業」に学生をできるだけ多く送り出し、大学のプレゼンスを高めたいというインセンティブが強力に働いている。つまり、教育は自らが競争に生き残るための重要な手段なのである。
経済学部では通常、入門の段階で機会費用概念を学ぶが、その際よく用いられるのが、授業時間の機会費用を金額で考えさせることである。その上で、機会費用分のお金を無駄にしないよう一生懸命勉強することが奨励される。かなり前のものになるが、同名のベストセラーに準拠した邦題「やばい経済学」(2011年)という映画には、成績が向上したらお金を与えるという金銭的なインセンティブを高校生に課す経済実験の様子が映し出されている。そこには教育の公共性や権利性という視点が全くないのだが、「やばい」と銘打つだけあり、何等の衒いも感じられない。ちなみにこの実験を行っていたのは、シカゴ大学である。経済学部における教育に限らず、キャリア教育の本には、正規雇用と非正規雇用の生涯賃金の差を示し「非正規労働者にならないように頑張ろう」という強迫的なメッセージが大抵書かれている。また、しばしば就職に有利になるよう友達を多く作ることが奨励され、個人生活においても経済的利益に沿った行動の意識づけが行われる。こういったキャリア教育と「標準的アプローチ」の経済学は、共振化しているようにも見える。
「標準的アプローチ」が資本主義への過剰な適応の奨励と等しいというわけではないはずだが、上のような事例はその一元化への危うさを感じさせる。経済学教育の中に、社会に主体的に関わっていけるようなシティズンシップ教育の視点が必要ではないか、そのために政治経済学が果たせる役割があるのではないかというのが本特集を企画した問題意識である。
(中略)
この特集が、資本主義の俯瞰的理論に関する研究、教育についての学派の違いを超えた議論の契機となれば幸いである。なお、本特集は主に大学における経済学教育を意識しているが、日本には、学生だけではなく市民による大小さまざまなマルクス経済学の学習コミュニティが存在する。また、経済学教育を論じる際には、様々な経済学教科書の比較検討なども必要とされるであろう。このような問題に関して、本特集では十分に扱うことができなかった。
(阿部太郎)
- 編集後記
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本号の特集テーマは「経済学教育における政治経済学の役割」です。本誌の読者はなんらかの形で経済学教育に関わっている方や関わった経験をお持ちの方、あるいは経済学教育を受けた方が大半でしょうから、本テーマに関連して思うところは様々にあるのではないかと推察します。本特集では、三名の会員によってそれぞれの専門・観点から経済学教育に求められるものが論じられています。
佐々木隆治氏の論文では、資本主義的生産様式そのものの危機の深まりという文脈のなかでマルクス経済学、とりわけ『資本論』に基礎をおく経済理論の体系を学ぶことがもつ教育的意義が論じられています。そうした経済学教育を通じて得られる資本主義システムについての批判的な知や権力性への認識、さらには経済的形態規定とそれに制約された思考形態からの脱却がいかに抵抗のための知的資源となり、危機の克服やポスト資本主義社会の構想につながるかが論じられています。
八木紀一郎氏の論文では、現代の主流派経済学に批判的な経済学の入門テキストの一つとして、ボウルズ、カーリンを中心に作成され、COREから提供されている『The Economy』の内容を紹介したうえで、彼らがとくに「新しいモデル」の必要性を感じ重要視しているという労働市場の領域での議論を中心に批判的検討がなされています。また、彼らが主張する「統合による多元主義」についても検討され、経済学教育における「多元主義」のあり方についても触れられています。
吉原直毅氏の論文では、近年のピースミール・エンジニアリングの進展の有効性を一定評価しつつも、経済学教育には現代の資本主義経済システムについての俯瞰的な理論と目指すべき経済社会に関する規範理論とが求められることが述べられています。そのためには、資本主義の基礎理論に関する論争的競合関係の発展が必要であり、その観点から、近年のマルクス経済学系のテキストについて批判的に検討されるとともに、新古典派的動学的一般均衡理論への批判として資本概念の定式化の問題が取り上げられています。
経済学教育は当然ながら経済学研究に基礎づけられており、論じるべき点も多岐にわたるでしょう。寄稿された三論文のなかにおいても、その内容は互いに関連し合いながら、ときに論争的な要素も含んでおり、各論文からはそれぞれ独自の示唆を得ることができます。私自身、本学会に入り、また一年半ほど前から編集委員となることで、これまで以上に多くの議論、論争に触れることになりました。異なる学派・潮流の間での議論は互いの垣根が高く感じられたり、議論がかみ合わず、すれ違うといった難しさに直面する場面も多々ありますが、今後ますます活発な議論,相互交流が必要になってくることをあらためて感じています。
(羽島有紀)
- 編集委員
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委員長
- 鍋島直樹(名古屋大学)
副委員長
- 宮嵜晃臣(専修大学)
編集委員
- 阿部太郎(名古屋学院大学)
- 泉 正樹(東北学院大学)
- 田添篤史(三重短期大学)
- 羽島有紀(駒澤大学)
- 森本壮亮(立教大学)
- 村上研一(中央大学)
- 吉田博之(日本大学)
- 吉村信之(信州大学)
経済理論学会について詳しくは、同学会のホームページ
http://www.jspe.gr.jp/
をご覧ください。