- 季刊・経済理論 第57巻第2号(2020年7月)特集◎ポストキャピタリズムへ
- 目次
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[特集◎ポストキャピタリズムへ]
- 特集にあたって 佐々木隆治
- 潤沢な社会とコミュニズム 斎藤幸平
- 定常循環レジーム下の経済システム論 吉原直毅
- ポストキャピタリズム論の諸相:貨幣の社会化への射程 結城剛志
- ポストキャピタリズムと労働組合運動:AI、シェアリング・エコノミーは労働組合運動にどのような変化を迫るのか 今野晴貴
[論文]
- 貨幣蓄蔵の基本規定:富としての貨幣と商品としての貨幣 海 大汎
- 商業機構における多型的展開:原理論と段階論からの検討 岩田佳久
- 在庫を含んだ市場の安定性とその変形:競争と情報の仮定を中心として 川ア兼人
[研究ノート]
- 商品取引回数に着目した仲介者の存在条件 永田貴大
[書評]
- 石倉雅男著『貨幣経済と資本蓄積の理論 第2版』 二宮健史郎
[書評へのリプライ]
- 『資本主義がわかる経済学』に対する鍋島直樹氏の書評を受けて 佐藤良一
経済理論学会 第68回大会の開催形態の変更について 代表幹事 河村哲二
第68回大会の開催形態について 第68回大会臨時実行委員会委員長 清水真志
東京大学経済学部長のNIKKEI STYLEでの発言に対する公開質問状について 経済理論学会事務局
論文の要約(英文)
刊行趣意・投稿規程
編集後記 涌井秀行
- 特集にあたって
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リーマンショック後の10年間の間に世界では左派が勢いを取り戻し、ポストキャピタリズムを展望する議論が台頭しつつある。
英国ではコービンが労働党の党首を務め、米国ではミレニアル世代が台頭し、「民主社会主義」運動が活性化してきた。昨年はグレタ・トゥーンベリの呼びかけに呼応して世界で気候危機へ急進的な対応を求める運動も大きな広がりを見せたばかりでなく、フランス、ハイチ、スーダン、チリ、レバノンをはじめとして世界中で、「被統治者として「システム」内部で闘うことをやめ、すべてを自分たちで決定する自律的な「敵」として、システムをその外部から攻撃」(廣瀬純)するような民衆闘争が発生した。もちろん、英国総選挙でコービン率いる労働党が敗北し、米国でも大統領選からサンダースが撤退するなど、代議制「民主主義」の内部で勝利できるほどのヘゲモニーはまだ獲得できていない。それでも、ソ連崩壊によって息の根を止められたようにみえた社会主義運動、共産主義運動が復活しつつあることは誰の目にも明らかであろう。今般のコロナ危機によって、この流れがいっそう加速することは(「コロナ・ショックドクトリン」による一時的な後退は免れないとしても)間違いないであろう。
このような社会運動の高揚は、政治的言説や学術的な議論にも表現されている。もはや、マーク・フィッシャーが言うような「資本主義リアリズム」、すなわち「資本主義が唯一の存続可能な政治・経済制度であるのみならず、今やそれにたいする論理一貫した代替物を想像することすら不可能だ、という意識が蔓延した状態」は打ち破られたと言ってよい。70年代以降、先駆的に新時代の社会革命の展望について体系的に展開してきた、アントニオ・ネグリ、マイケル・ハートらを代表者とするアウトノミア運動の流れをひく潮流だけではなく、「第三次産業革命」や「第四次産業革命」などとも呼ばれるデジタル化やビッグデータにもとづくプラットフォーム・キャピタリズム、シェアリング・エコノミーの進展などを捉えて、それを社会変革と結合させようとする議論が多様な形態で展開されている。よりブルジョワ的な形態ではジェレミー・リフキンによる協働的コモンズ論が有名だが、それにとどまらず、経済の自動化などの労働の生産力の発展がポスト労働社会やコミュニズムの契機となることを重視するニック・スルニチェクらの加速主義左派、ICTによる経済の潤沢化とネットワーク化が資本主義のヒエラルキーと対立するというポール・メイソンのポストキャピタリズム論など、多様な議論が展開されている。
さらに、人類が気候危機などの深刻な環境問題に直面するなかで、脱成長派の伸張も著しい。日本などの一部の例外を除いて、気候変動は人類が直面する最重要課題として認識されつつあり、この流れは今般のコロナ危機によって(すなわちその原因が物質代謝の攪乱にあり、にもかかわらず資本の論理によってそれへの対策が不十分なものにされてきたといったように問題構造が類似しているだけでなく、社会の存続にとって最も重要なのは経済成長という名の資本蓄積などではなく、医療、保育、介護、物流、運輸などに携わるエッセンシャルワーカーたちの労働であることを暴露することによって)さらに強くなるだろう。一部は依然として市場経済との連関を重視する「グリーンニューディール」、すなわち気候ケインズ主義の枠内にいるが、少なからぬ論者がポストキャピタリズムを脱成長経済として展望する議論を打ち出している。たとえば、Giacomo D’Alisa, Federico Demaria, Giorgos Kallisらによる “Degrowth: A Vocabulary for a New Era” (2014)を一読するだけでも、脱成長派の議論がGDPへの批判、商品化への批判、古い共有地の再生、新しい共有地の創造、エコ・コミュニティや協同組合のような新しい形態の生活や生産、ワークシェアリングやベーシックインカムといった社会政策など、多岐にわたるアイデアを含んでいることがわかるが、なかでも重要なのはそれが成長そのものに対する批判、それと不可分の資本主義に対する批判を含んでいる点であろう。すなわち、旧来のエコマルクス主義と異なり、物質代謝の合理的及び人間的制御のみならず、物質代謝の規模の縮小自体を明確に打ち出している点に脱成長派の議論の本質がある(なお、日本での「脱成長論」の多くは資本主義批判や商品化批判を欠いており、基本的に別物だと考えたほうがよい)。
冒頭の斎藤幸平会員による「潤沢な社会とコミュニズム」は以上のような海外でのポストキャピタリズムの議論を紹介しながら、とりわけエコロジーとの関連でその意義と限界を明らかにしている。日本の「左派」のなかで蔓延っているような経済成長論やたんなる再分配論は論外だとしても、海外のポストキャピタリズム論もやはり資本主義経済が生み出してきたブルジョワ的観念から自由であるわけではない。それらの多くはICTやプラットフォーム経済、再生可能エネルギーなどを過大評価している。たとえば、そうした議論は現在の生産力やそれにもとづくライフスタイルを継承しつつ、ある種の「政治的プロジェクト」によって、生産力の果実を一部の特権者の手から民衆のもとに取り戻し、持続可能な形態で「潤沢な経済」を実現できるという。だが、これらの議論は生産力と物質代謝の関係を非常に抽象的に捉えており、ICTによる効率化や再生可能エネルギーそのものが環境に与える負荷を考慮できていない。それゆえ、いわゆる「ジェヴォンズのパラドックス」を見逃してしまうのである。マルクスはすで140年以上も前に、晩年の膨大な自然科学研究と共同体研究を基礎として農耕共同体の持続可能性を高く評価するなど、事実上、脱成長に舵を切りつつあったが、このような脱成長の視点がコミュニズムにとってますます本質的な要素になってきていることを、斎藤論文は、ヒッケルが提唱する「ラディカルな潤沢さ」などの概念を参照しつつ、見事に浮き彫りにしている。しかも、その際、労働の削減にだけ注目して労働、すなわち物質代謝の媒介様式のあり方そのものを問わない加速主義やデビッド・グレーバーのポスト労働論を批判し、「労働の内容そのものを闘争の課題にしなくてはならない」という指摘を行っている点は、今後の社会運動のあり方を考える上でも非常に重要な問題提起となっている。
それでは、私たちが脱成長コミュニズムを展望するとして、それをいかに実現していくことができるのであろうか。ここには、市場に依存しないコミュニズム経済をどのようにして組織するのかという、古くて新しい問題が存在する。続く吉原直毅会員の「定常循環レジーム下の経済システム論」は、現在の気候危機の深刻化と「コロナ・ショック」により、「経済的グローバリゼーション下での資本蓄積・経済成長路線が大きな制約を受ける時代状況」になったという現状認識のもとで、「定常的経済循環を均衡経路の基本的特徴とする経済システムの可能性」について、数理マルクス経済学の立場から緻密な議論を展開したものであり、この問題について大きな示唆を与えてくれる。マルクスが指摘したように資本主義の変革において人間たちは一挙に「ブルジョワ的母斑」を拭い去ることはできず、したがって現在の市場経済を一挙に解体することもできない。それゆえ、ソ連型モデルにかわる新たな社会主義の経済モデルとして理念的に「アソシエーション」を提唱するだけでは不十分であり、市場も活用しつつ、どのような経路でこれを実現するかが問題となる。吉原論文がその理論的分析をつうじて明らかにするのは、資本原理が抑制され、資本所有の社会化の下での利潤収益にたいする各個人の均等な請求権が与えられる市場システムにおいては、「非搾取的な定常的経済循環を市場均衡」として実現することができるが、そのさい、非「合理的経済人」的行動原理による支えが必要となるということである。これはプルードンらのアナーキストたちのように流通部面から直接に制度的にアプローチするのではなく、生産様式の変化を通じて市場の非「市場」化を展望したマルクスの議論とも合致するものであり、非常に興味深い。さらに、過渡期において抑制された市場経済が果たすべき役割を強調しつつも、「非市場的な共同体的資源配分原理に支配される領域が、資本制経済に比して拡大する事は十分に予想され得る」として、例として知財や農業を挙げているが、この指摘も晩期マルクスの議論と重なり合うものであろう。
前半の二つの論文はいわばグローバルな視点からのコミュニズム論であるが、私たちは翻ってこの日本における脱成長コミュニズムの可能性について問わなければならない。日本では、3・11以降、社会情勢全般にとどまらず、左派や社会運動内部の言説までも周回遅れの「経済成長論」やそれを前提とした再分配論が幅をきかせるなど、右傾化の一途を辿っており、この状況を一刻も早く打開することが急務となっている。後半の結城剛志会員の「ポストキャピタリズム論の諸相」と今野晴貴会員の「ポストキャピタリズムと労働組合運動:AI、シェアリング・エコノミーは労働組合運動にどのような変化を迫るのか」は、この問題について大きな示唆を与えてくれる。
結城論文は、日本の「反緊縮」派の問題点について的確に指摘しつつ、さらに従来の宇野派の議論と近年のMEGA研究を対比させながら、旧来の日本土着のマルクス主義としての宇野派の限界を浮き彫りにするとともに、新時代における宇野派的マルクス解釈についても意欲的に展開している。とりわけ、旧来の宇野派の福祉国家把握の不十分性について展開した第一節では、当時の宇野派の影響力が大きかっただけに深刻な問題を孕んでいたことを改めて痛感させられる。さらに、MEGA研究を参照軸としながら宇野派の積極面を引き出している後半の叙述は、市場社会主義の可能性や貨幣改革などに関連して、この右傾化著しい日本社会でどうやって原則的なコミュニズム、すなわちアソシエーション論を再興し、発展させていくかについての理論的示唆に満ちている。
今野論文は、AI、IoT技術の進歩とシェアリング・エコノミーと呼ばれる労働の形態が社会民主主義的な社会統合を追求する労働組合運動の戦略の根本からの見直しを迫っていることを指摘し、新時代の労働運動の可能性を探っている。重要なのは、労働の減少や労働形態の転換は、「ポストキャピタリズム」へと単線的に進むものではない、という指摘である。AI・IoT技術は相対的過剰人口をこれまで以上に加速度的に増加させ、シェアリング・エコノミーを可能にする情報技術は新しい資本による労働「管理」の形態を生み出している。この状況のために、ポストキャピタリズムの構想においては、20世紀型労働運動を乗り越えて立ち返るべき、労働運動の本質的要素が重要性を持ち続けており、またそのような労働運動がシェアリング・エコノミーの重要な形成主体である社会的企業や協同組合の発展の基盤となることも指摘されている。今野論文は、日本社会で新しい労働運動の構築に苦闘してきた著者だからこそ展開することができるポストキャピタリズムへの突破口を示しており、社会運動家や研究者はここから多くのものを学ぶことができるであろう。
(佐々木隆治)
- 編集後記
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冷戦終結後30年になる2020年の世界は、冷戦=核戦争の危機から逃れられる平和の時代どころか、軋むような格差社会となった。新自由主義のもと経済発展こそが、豊かな社会をつくり人々を幸せにできる。こう唱えながら推し進められてきた経済戦略は、グローバル化とローカル化・国民経済の劣化を招いた。製造業は海外依存を加速させ、国内産業=雇用の空洞化を生み出し、金融・情報通信の1%の億万長者と99%の貧困層を生み出した。2011年若者たちは“We are 99%”と叫びながらウォール街を占拠した。 2020年米大統領民主党予備選挙で、若者は民主社会主義者・サンダースを支持し、「約70%が『社会主義者』に投票したい!」と、主張している。
本号の特集は「ポストキャピタリズムへ」である。佐々木は、「特集にあたって」で、次のように述べている。「資本主義が唯一の存続可能な政治・経済制度であるのみならず、今やそれにたいする論理一貫した代替物を想像することすら不可能だ、という意識が蔓延した状態」は打ち破られた、と。斎藤が言うように「資本主義システムへのオルタナティブをはっきりと要求するようになっていることだ。ポスト資本主義社会の想像力が解放されつつある。」今、ソ連・東欧型の「20世紀社会主義」のトラウマから人々は解放されつつある。また結城は、新しい社会の「編成原理」を次のように指摘している。「パーソナル・コンピュータとインターネットの普及は,資本主義世界に住まう人びとに一つの希望を与えた。いわゆるパソコンは,個人に生産手段を与え,インターネットは切り離された人びとをつなぎ直す,新たなコミュニケーション・ツールをもたらした」と。インターネットの編成原理〔分散=共有=公開〕は、資本主義の〔集中=私有=独占〕のアンチテーゼとしての〔20世紀社会主義=(集中)計画と国公有(独占)〕に代わる〔21世紀社会主義〕の編成原理と言えまいか。この主題の一層の耕運・陶冶が求められる。
投稿論文は3本である。いずれも経済原論の論文で特集と対をなし、57巻2号全体としてのバランスが取れている。毎号そうだが、投稿論文は、編集委員会において、二名の査読者からの審査報告を担当編集委員がとりまとめた審査結果案に基づいて、全体の論旨から始まり、誤字・脱字・細かい点に至るまで審査される。新米編集委員の筆者は「ここまでするの、へー」と感心することもしばしばだった。若い研究者には、いわば「他流試合」「道場破り」の意気込みでの投稿を期待したい。このやり取りの中で、力をつけ事ができるだろう。
最後に、第2段落で述べたことを蒸し返すことになるが、インターネットのシステムを国家・企業と民衆がせめぎ合いながら、取り込もうとしている。インターネット編成原理〔分散=共有=公開〕は、国家・企業の側は「世界経済フォーラム」を組織し、金融での利益の最大化を図り、民衆の側は、「世界社会フォーラム」を組織し地球規模で運動を展開している。国家・企業VS民衆の対抗の中で次の社会〔新世界〕が形成されてゆく。このテーマは、これからの経済理論の重要なテーマとなるように思われる。
(涌井秀行)
- 編集委員
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委員長
- 森岡真史(立命館大学)
副委員長
- 宮澤和敏(広島大学)
編集委員
- 明石英人(駒澤大学)
- 阿部太郎(名古屋学院大学)
- 佐々木隆治(立教大学)
- 柴崎慎也(北星学園大学)
- 田添篤史(三重短期大学)
- 二宮健史郎(立教大学)
- 星野富一(富山大学)
- 森本壮亮(立教大学)
- 涌井秀行(明治学院大学)
経済理論学会について詳しくは、同学会のホームページ
http://www.jspe.gr.jp/
をご覧ください。