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季刊・経済理論 第56巻第3号(2019年10月)特集◎生産性の概念を問い直す
季刊・経済理論第56巻第3号

経済理論学会編

B5判/並製/90頁
ISBN978-4-905261-94-0
本体2000円+税
発行
2019年10月20日

目次

[特集◎生産性の概念を問い直す]

  • 特集にあたって  薗田竜之介
  • 生産性、技術変化、実質賃金  塩沢由典
  • 資本制社会の下での生産性指標の特徴とその動態  橋本貴彦
  • 生産性指数について  溝渕英之
  • 実験経済学における生産性の分析  小川一仁

[論文]

  • 『経済学・哲学草稿』第1草稿における国民経済学批判の進展について  菊地 賢
  • 金融市場におけるクズネッツ・サイクル:国際資本循環としての現代的意義に関する考察 島倉 原・藤井 聡

[書評]

  • 森岡孝二著『雇用身分社会の出現と労働時間:過労死を生む現代日本の病巣』  八木紀一郎
  • 大村 泉編著『唯物史観と新MEGA版『ドイツ・イデオロギー』』  橋本直樹

[書評へのリプライ]

  • 『資本主義的市場と恐慌の理論』に対する宮澤和敏氏の書評を受けて  江原 慶

論文の要約(英文)

刊行趣意・投稿規程

編集後記  山下裕歩

特集にあたって

経済学にとって生産性とは、いつの時代も最重要概念の一つである。生産性は技術進歩・生産力発展を示す指標であり、同時にまた所得分配を規定する要因でもある。生産性の動態をとらえることは、資本主義社会を分析していくに当たり、必須の課題であると言えるだろう。

しかしその重要性とは裏腹に、この生産性なる概念を明確に定義し、現実の経済における生産性の実態を把握する作業は、決して容易なものではない。生産性のとらえ方には、学派ごとの生産理論や分配理論の相違が色濃く反映されるため、政治経済学は新古典派経済学の生産性概念をしばしば批判してきた。 (中略)

こうした生産性概念の曖昧さは、経済理論上の問題にとどまらず、現実の政策決定などにも大きな悪影響を及ぼしている。新自由主義的な規制緩和・構造改革の議論においては、しばしば「生産性の向上」が題目として掲げられる。また昨今の「働き方改革」を巡る議論でも見られるように、労働者の待遇引き下げや労働強化が往々にして生産性の観点から正当化されるのも、周知の通りである。こうした動きの背後にあるのは、「個々の企業や労働者を市場の競争圧力にさらすことで生産性の成長が促進される」という単純素朴な市場原理信仰であろう。これは言うまでもなく、新古典派の経済理論の通俗的な解釈に基づくものであり、どこまで学術的なエビデンスに基づいた主張であるのか甚だ怪しいが、こうした一般社会レベルにおける生産性概念の濫用もまた,無視し得ないものである。

このような状況下にあって、社会科学者がなすべき仕事とは何か。それはやはり、生産性なるものの実体とそれを規定するメカニズムに関して、曖昧なままブラックボックスに放り込むのではなく、学術的に慎重な考察と分析を重ね、正確な理解を深めていくことであろう。そこで本特集では、「生産性の概念を問い直す」と題し、生産性を巡る理論面・実証面での最新の研究成果を紹介する。本号に掲載されている4論文は、本特集の企画趣旨に賛同してくださった塩沢由典氏、橋本貴彦会員、溝渕英之氏、小川一仁氏からご寄稿いただいたものであり、いずれも生産性という概念がはらむ諸問題に真正面から取り組む内容となっている。(以下略)

(薗田竜之介)

編集後記

本号第56巻3号の特集テーマは「生産性の概念を問い直す」である。このテーマは本号の編集担当者である編集委員の薗田竜之介会員によって設定されたのだが、労働生産性の低さの原因を全て労働者に帰し、労働分配率の抑制と低賃金を正当化する論理の安直さを、学術的考察を通じて白日の下に晒すことを薗田氏が企図されたものと理解している。

生産性をどう計測すべきか、生産性は何によって決まるのか、生産性の高低は何を意味しているのか、生産性を企業間や国家間でどう比較するのか、といった問への解答は簡単に得られるものではないということが、生産性に深い洞察を持つ4名の論者から寄せられた本号特集論文からも覗うことができるのではないか。

実際に現実の世の中で、「労働生産性が低いから賃金が低い」という一方向の因果関係のみが独り歩きしているように感じられる。もっとも、「労働生産性が低いから賃金が低い」という命題を真なる命題として広めることが「資本の論理」ともいえる。この「資本の論理」が社会の隅々まで浸透し、そして、労働者の苦境が自己責任論へ転化される。しかし、多くの場合労働生産性が低いということは資本生産性も同時に低いということでもありはしないか。また、労働生産性が低いのは意欲的な労働へのインセンティブを生み出す人事労務体制・制度も含めて、「資本の配置」が最適化されておらず不適切だからかもしれない。もしそうであれば、労働生産性が低いことの原因が資本側にあるという論理も成り立ち得る。

私の住居の所属する町会での知人に小さな運送会社を経営している方がいる。その方は高校を3日で退学になり、中学1年から晩酌を欠かしたことがないという人物である。個人としてのその方を尊敬しているが、話を聞くにつれ当該運送会社はいわゆるブラック企業的である。例えば、みなし残業代(固定残業代制度)の上手な使い方を丁寧に説明してくれた。しかし一方で、社会関係・状況によってそうなっているともいえる。要は、荷主に対して、ドライバー不足が叫ばれている現状においてなお、なかなか料金を値上げできないのである。個別企業の生産性は個別企業だけでは語れない。

私自身としては編集委員会の任期を八割方終えたが、編集委員会での自身の生産性がどうであったのか少し気になった。編集委員会の労働生産性をどう定義するか。分子は「より良い論文がより多く掲載される」であり、分母は「編集委員会委員と査読者の総作業時間」か。分子の増大のために、編集委員会と査読者が懸命に働いており、私も可能の限りを尽くしたい。一方、分母の縮小も労働生産性を上げることになるが、「分母を削減しよう」とキャンペーンを張る勇気はない。「分母を効率化しよう」ということはできるかもしれないが、これは言葉のごまかしに過ぎない気もする。そもそも「分子の増大のために可能の限りを尽くしたい」と自分で述べたばかりではないか。ゆえに、暫定的結論として「編集委員会の労働生産性は高い方が良いけど低くても良い」という若干論理性の欠如した文言で編集後記を終えたい。                       

(山下裕歩)

編集委員

委員長

  • 新田 滋(専修大学)

副委員長

  • 森岡真史(立命館大学)

編集委員

  • 明石英人(駒澤大学)
  • 佐々木隆治(立教大学)
  • 柴崎慎也(北星学園大学)
  • 薗田竜之介(佐賀大学)
  • 二宮健史郎(滋賀大学)
  • 星野富一(富山大学)
  • 山下裕歩(獨協大学)
  • 涌井秀行(明治学院大学)

経済理論学会について詳しくは、同学会のホームページ
http://www.jspe.gr.jp/
をご覧ください。