- 季刊 経済理論 第51巻第3号(2014年10月)◎マルクス恐慌論をめぐって:恐慌論と21世紀型危機
- 目次
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[特集◎マルクス恐慌論をめぐって:恐慌論と21世紀型危機]
- 特集にあたって 吉村信之
- 『資本論』の恐慌論と現代の世界経済危機 伊藤 誠
- 「グローバル金融資本主義」の歴史的位相:「21世紀型世界金融恐慌論」に寄せて 岡本悳也・楊枝嗣朗
- グローバル資本主義と経済政策:景気対策に焦点を置いて 柴垣和夫
- マルクス恐慌理論の全体像と今日的有効性 山口重克
[論文]
- 『資本論』解釈としてのNew Interpretation 森本壮亮
[研究ノート]
- 規範理論への根本的批判としてのマルクス疎外論の可能性:
松井暁『自由主義と社会主義の規範理論』とロールズ正義論との比較から 玉手慎太郎 - 社会構成員数、生産物種類数と貨幣経済の成立条件 金江 亮・大西 広
[書評]
- 結城剛志著『労働証券論の歴史的位相』 伊藤 誠
- Kiichiro YAGI, Nobuharu YOKOKAWA, Shinjiro HAGIWARA and Gary A. DYMSKI (eds.)
“Crisis of Global Economies and the Future of Capitalism” 磯谷明徳・植村博恭 - 村上研一著『現代日本再生産構造分析』 藤田 実
- 長島誠一著『社会経済システムの転換としての復興計画』 田中史郎
- 永谷 清著『市場経済という妖怪:『資本論』の挑戦と現代』 片桐幸雄
- 姉歯 曉著『豊かさという幻想:「消費社会」批判』 鶴田満彦
- 三土修平著『続・ワルラシアンのミクロ経済学:般均衡論モデルの発展的理解』 山下裕歩
- 山川充夫著『原災地復興の経済地理学』 長島誠一
[書評へのリプライ]
- 『マルクス派最適成長論』に対する書評(評者:川口仁和氏)へのリプライ 金江 亮
- 『21世紀型世界経済危機と金融政策』に対する書評(評者:米田 貢氏)へのリプライ 建部正義
論文の要約(英文)
刊行趣意・投稿規定
編集後記 勝村 務
- 特集にあたって
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2007年以降以降顕在化した金融危機を背景に、それまで支配的だった新古典派経済学やそれに基づいた市場原理主義がその説得力を大いに後退させ、ケインズさらにはマルクスの復活が人口に膾炙するようになった。これに対して、マルクス派やケインジアンからは、すでに先の金融危機の分析が、これを必然のものとしたここ数十年にわたる新自由主義的局面の検証を含めて数多く提出されるに至っている。しかし当初より大恐慌の実践的な処方箋を描くことから出発したケインズ経済学にくらべて、恐慌の理論的・実証的研究を膨大に蓄積してきたはずのマルクス経済学が、そうした時代的・社会的要請にどのように応え新古典派に代わる具体的な対案をいかなる形で示そうとしているかについて、ケインズ派以上の明確な青写真が描けているのかと問われれば、そのスタンスは必ずしも分明ではない。
そこには政策的議論を超えて資本主義経済の歴史的な本質を捉えようとするマルクス派特有の理論観、資本主義社会の枠内における修正的対案の提起に対する歴史的な忌避、あるいは理論研究と現状分析との研究次元における方法的差異の自覚を徹底化してきた研究史的伝統など、様々な要因の介在が考えられる。時々刻々と変化する現象を掬い上げそれらをモデル化するのではなく、広い歴史的視野から資本主義経済の運動を明らかにする特長は、マルクス経済学の大きな魅力のひとつであるが、半面実践的対案の提示とまではいかなくても、具体的な研究の次元においてさえ、現実分析・実証研究と理論研究とがそれぞれ個別的に進められ、双方ともに深い領域にまで到達していながら、相互の会流を欠いている憾みがないとはいえない。マルクス経済学における基礎理論が今回の金融危機の分析をはじめとする現状分析においてどのように生かされており、 また現代資本主義の検証や資本主義の歴史的変化にたいする実証がどのように理論研究にフィードバックされているのか、部外者には容易に理解されないのは、マルクス理論のこうした方法的特徴から来ている面がかなりあると思われる。
『季刊 経済理論』において恐慌論に関連したテーマは、直近でみても第49巻第1号(「グローバリゼーション下の経済金融危機と国家」)、第47巻第2号(「21世紀型世界恐慌と恐慌論研究の課題」)など、多く組まれている。これらに比較して本特集では、上述の問題意識を踏まえたうえで、理論研究においても現実分析においても、マルクス経済学に基づいた恐慌論と21世紀型の金融危機との異同を検討する視点のもとに、マルクス派恐慌論・景気循環論の今日的な有効性を――そして必要ならばその不充分性をもあわせて――執筆者に論じてもらうことをひとつの共通の課題としている。21世紀型金融危機の理論的・実証的分析とともに、マルクス恐慌論の現代における意義を理論と実証の双方から検証することをも目的のひとつとすることで、従来の恐慌論特集との差別化を図ろうとした。
総じて本特集は、理論と現状分析の論文が4本並列して掲載されるのではなく、執筆者それぞれの『資本論』ないし経済学に対する見地から理論と現状分析の関係をもあわせて論じてもらうような内容のものを企図した。(以下略)
(吉村信之)
- 編集後記
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この『季刊経済理論』誌第51巻第3号では、吉村信之編集委員により、特集「マルクス恐慌論をめぐって?恐慌論と21世紀型危機」が企画され、斯界の重鎮である5人のかたがたに執筆いただき、重厚な特集となりました。……との編集後記を予定しておりましたが、4本の特集論文を拝読いたしましたところ、こんにち的な問題意識に満ちた論考ばかりで、重厚であるのみならず、活気あふれる特集となったように感じました。論考の中に溢れる5人の先生がたのエネルギーにあらためて敬服の念を抱くとともに、吉村委員の企画のたしかさにも感服した次第です。不均衡と非対称性の在処をつきとめることによる構造的把握を旨とするマルクス経済学の優位性は、経済危機の把握に際して、いままさに発揮されるのではないでしょうか。
恐慌論というと、大著『世界大恐慌:一九二九恐慌の過程と原因』を著された故・侘美光彦先生を思い出さずにはいられません。侘美先生が大著へと至る連続寄稿を続けられていた時期に、段階論や恐慌論の講義を受け、力強い講義の姿からマルクス経済学の魅力を浴びるように感じておりました。マルクス経済学研究者は、純理論研究と実証分析研究どちらかに専心するよりも、両者をともに究めるべく努める姿勢でいるべきだ、と語られていた侘美先生ならではの意欲が、講義に漲るパワーに反映していたのだと思います。ベルリンの壁崩壊の年に侘美先生の段階論の講義に出会えていなかったら、当時のご多分にもれず、たんなるマルクス食わず嫌い学生でいたかもしれません。
侘美恐慌論講義ですが、構想の巨大さに圧倒されて十分に内容を理解できたか心許ないのですが、「恐慌の形態変化」や「景気循環を通しての価値法則の貫徹」という言葉を繰り返し話されていたように思います。わたしたちの次の学年では侘美先生は経済原論の講義を担当され、後輩からそのノートを見せてもらったことがあるのですが、流通論・生産論・分配論(競争論)という名前での三篇構成ではなく、資本主義の段階的変容を反映するものとして各篇が展開されていたのを記憶しています。まさに世界資本主義論の面目躍如。
資本主義の変容は、市場の調整のありかたや恐慌の形態の変化として現れ、景気循環を通して貫かれる価値法則も、資本主義の変容とともに位置づけなおされるものとなる、という見方が、一連の構想として考えられるでしょうか。価値概念・価値法則について、資本主義の変容や恐慌の形態変化との関連を強く意識して攻究するというのも、興味深い取り組みということになるのかもしれません。
マルクス経済学の特色である「歴史性」をどう理解するか、原論・段階論の関係など経済学方法論をどう考えるか、という問題意識から、このような構想の是非を問い直すことも必要かとは思いますが、構想の大きさとそこから提起される問題の魅力に惹きつけられるのも、またたしかです。理論と実証とをともに究めんと努めることは、侘美先生のようにはなかなかいきませんが、両者を常に意識していくようにしなければ、と、あらためて感じています。
『季刊 経済理論』誌の編集委員としての任期も折り返しにさしかかっています。投稿いただいた論文・研究ノートへの査読の手配と、それを踏まえて施されるブラッシュアップの過程に寄り添うのが、何といっても編集委員会の中心的な仕事。学問研究を学界全体で支え合って深めていくという過程のただ中に身を置く機会を得て、経済学研究の面白さを体感しています。査読にあたってくださるレフェリーの先生がたの誠意には、ただただ感謝です。一委員として、やりとりの中では十分に謝意を伝えることもできずにおりますので、この場をお借りして申し上げたく存じます。ありがとうございます。
(勝村 務)
- 編集委員
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委員長
- 遠山弘徳(静岡大学)
副委員長
- 竹内晴夫(愛知大学)
編集委員
- 姉歯 曉(駒澤大学)
- 大野 隆(立命館大学)
- 勝村 務(北星学園大学)
- 酒井正三郎(中央大学)
- 原田裕治(福山市立大学)
- 藤田真哉(名古屋大学)
- 矢吹満男(専修大学)
- 吉村信之(信州大学)
経済理論学会について詳しくは、同学会のホームページ
http://www.jspe.gr.jp/
をご覧ください。