- 季刊 経済理論 第48巻第4号(2012年1月) 特集◎マルクス商品論の現代的可能性
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経済理論学会編
B5判並製/120頁
ISBN978-4-905261-63-6
定価2100円(本体2000円+税)
発行
2012年1月20日 - 目次
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[特集◎マルクス商品論の現代的可能性]
- 特集にあたって 清水真志
- 冒頭商品論の現代的再考のために 伊藤 誠
- 固有価値としての情報財の理論 野口 宏
- 過剰商品化試論:外延的過剰商品化と内包的過剰商品化 田中史郎
- 物神性と商品:内的関連論から物象化論へ 植村高久
[論文]
- クレマン・ジュグラーと19世紀英仏マネタリーオーソドキシー 岩田佳久
- シュンペーターの経済発展論における革新と銀行家の関係:ヴィジョンと理論構成の相剋をめぐって 楠木 敦
- 現代主流派マクロ経済学批判の一視角:ポスト・ケインズ派の挑戦 鍋島直樹
[書評]
- 小林賢齊著『マルクス「信用論」の解明:その成立史的視座から』 八蝸ヌ次郎
- 宇仁宏幸・山田鋭夫・磯谷明徳・植村博恭著『金融危機のレギュラシオン理論:日本経済の課題』 坂口明義
- 遠山弘徳著『資本主義の多様性分析のために:制度と経済パフォーマンス』 原田裕治
- 馬場宏二著『宇野理論とアメリカ資本主義』 瀬戸岡紘
- ロベール・ボワイエ著/山田鋭夫・坂口明義・原田裕治監訳『金融資本主義の崩壊』 小倉将志郎
- 飯田和人著『グローバル資本主義論:日本経済の発展と衰退』 鶴田満彦
- トム・メイヤー著/瀬戸岡紘監訳『アナリティカル・マルクシズム:平易な解説』 吉原直毅
[書評へのリプライ]
- 『アメリカ金融覇権 終りの始まり』に対する書評(評者:大森拓磨氏)へのリプライ 毛利良一
- 『価値と剰余価値の理論』に対する書評(評者:櫛田 豊氏)へのリプライ 森田成也
- 『金融危機下の日銀の金融政策』に対する書評(評者:前畑雪彦氏)へのリプライ 建部正義
論文の要約(英文)
刊行趣意・投稿規定
編集後記 後藤康夫
- 特集にあたって
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商品論(冒頭商品論)といえば、マルクス経済学の原理論研究のなかでも、特に先行研究の蓄積の多い箇所の一つに数えることができよう。商品論をめぐって長らく議論の中心をなしてきたのは、マルクスがこの箇所において与えている「抽象的人間労働の結晶化」という価値規定をどのように解釈するか,およびその規定を与える際の「使用価値の捨象(蒸留法)」という論理的手続きをどのように評価するかという問題であった。そうした問題設定の下、商品論はいわば労働価値説の最初の試金石とみなされてきたのであり、資本論体系にたいする他学派からの批判の多くも、まずは必然的にこの箇所に振り向けられることになった。
しかし、このパターンの議論がほぼ出尽くしたためであろうか、商品論をめぐる今日の研究状況に、往年ほどの活況を見出すことは難しい。もとより今日でも、商品論の意義自体に否定的な論者は少ないであろう。しかしそれはまた、少なくとも現時点において、マルクス経済学のフロンティアを切り開く突破口となることを強く期待されている様子もない。商品論は、それをめぐる著名な論争の歴史とともに丁重な保存処理を施され、原理論研究の貯蔵庫のやや奥の方に収納されてしまった観をなしとしないのである。
しかし現実に目を向けると、われわれの日常を取り巻く商品のカテゴリーには、往時の商品論研究では念頭に置かれるべくもなかった種類のものが多く含まれている。技術のあらゆる分野にわたって取得される特許、知的財産権や肖像権、CO?の排出権などはその典型といえよう。今日の商品関係は、従来市場の外部と考えられてきた個人的な消費過程、調理や清掃、育児や介護といった領域にまで及ぶ。われわれ自身が普段それらの所有者であることを自覚しないような体内資源、身体器官や代謝機能、遺伝子情報などが市場を介して広範に取引されるようになるのも、おそらくそう遠い将来のことではない。
思い返せばマルクスも、全面的な商品関係の下では、人間の良心や名誉までもが「想像的な価格形態」を有する商品となることを鋭く指摘していた。もっともこの指摘も、マルクスの時代にあってはまだ幾分比喩的な、あるいは予言的な意味合いを含んでいたのではないか。しかし今日の商品関係は、いっそう直接的な意味合いにおいて、そして昨日までのわれわれの「想像」の及びうる範囲をも超えて、社会を根底から捉えようとしているように見える。かねてよりブルジョア社会に必須であったという「百科辞典的な商品知識」も、いよいよ本格的な増補改訂の時期を迎えつつあるのかもしれない。
むろん、こうした現在進行形の動向を、そのままのかたちで抽象的な理論の内に写し取ることは困難であろうし、それ以上に危険でもあろう。といって、それを最初から特殊具体的な事象と決めつけるだけでは、いかに完成度の高い理論も、滅多に道具として使われることのない年代物の骨董品になり果てかねない。そのような問題意識に立つとき、マルクス経済学の商品論は、目下どのような有効性を保持し、どのような課題に向き合っているものと考えるべきであろうか。「マルクス商品論の現代的可能性」と題する今回の特集号の狙いは、商品論をもう一度原理論研究の貯蔵庫の奥から取り出し、些かの埃を被っているならばその埃を払った上で、あえて現役の道具としての使い勝手を遠慮なく試してみることにある。(以下略)
(清水真志)
- 編集後記
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雑誌を手にとり、一番最初に開くのは、編集後記だ。編集の狙いや苦労話、はては時評まで、肉声で語られているからだ。一人の読者としてみれば、ドキドキ期待して末尾のページをめくり、硬派の本文に思いをめぐらしたり、いろいろと想像力が広がったりする、そんな至福のひとときだ。ところが、今回、因果は廻るというべきか、書き手の役回りとなってしまった。本誌は会員が交代で編集にたずさわっているので、その仕事の一端を語ることからはじめよう。
3月11日、年四回のうち春季分として、専修大学神田校舎で編集会議が開催された。定刻の11時、いつものように編集委員長作成のぶ厚い文書に沿い、会議は始まった。この文書には、これまでの積み残し、現状、今後の計画などすべてがびっしりと記されており、たとえ委員になって初めて出席しても、おおよその全体像がつかめ、ただちに仕事ができるようになっている。それにしても、編集委員長は全体統轄の大変な激職である。
午後にさしかかって、ほどなく、休憩をかねて、みんなで昼食にでかける。学生街なので学食並みのメニュー、料金のなかから、思い思いに注文する。ここからは、先ほどまでの編集者としての厳格な眼差しが一変、楽しい会話に花が咲く。昨今の研究・出版や教育・学生の動向から、勤務先や世界の動き、はては個人の消息や健康状態まで、森羅万象が縦横に語られる。しばし、交流と共感の場が立ち上がることになる。
会議室に戻り、再開してほどなく、午後2時46分、突然の激しい揺れ。不安げに顔を見合わせていると、今度はさらに激しい揺れ。一同、机の下に潜るが、揺れは一向に収まらない。とうとう7階から手摺りにつかまりながら、地上にまで降りていく。頻発する余震への不安が募り、一階フロアで会議が再開される。みんなの顔からは、こんなことで会議をやめるわけにいかない、予定の議事を全てやりきり、雑誌の刊行を続けなければ、との意志が溢れている。その責任感の強さには、ただただ頭が下がる。いつものように夕方6時頃、会議は終了。みんなホッと一息、達成感と安堵感が漂う。
山手線が不通なので、歩いて東京駅に向かった。30分ほどで辿り着くと、東北新幹線も不通で、帰路を絶たれた。ごった返す東京駅地下道で、2泊3日の帰宅難民となる。なんとかタクシーを乗り継ぎ、3日ぶりに帰宅すれば、テレビで原発爆発の報道・・・・・・。編集委員会専用のメイルを開ければ、みんなは予定レフェリーや書評者への連絡など、相互に経過報告しながら、分担した仕事を着実に遂行している。
こんな形で、本誌はレフェリーを始めとする膨大な労働の結晶体として、出来上がり、会員の手に届けられる。こうした労働は、一方で古典的な相互扶助、他方でネット空間での共有・協働・共同決定という新しい性格を有しているといってよいだろう。一般に学会の英語表記が、アソシエーションであることを想起してみると、学会活動とは、アソシエーションの一つの具体的形態と言ってよいかもしれない。すでに始まりし未来は、こういう形で積みあがっていくことになるのだろう。
(後藤康夫)
- 編集委員
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委員長
- 岡部洋實(北海道大学)
副委員長
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磯谷明徳(九州大学)
委員
- 後藤康夫(福島大学)
- 清水真志(専修大学)
- 竹野内真樹(東京大学)
- 遠山弘徳(静岡大学)
- 原田裕治(福山市立大学)
- 福島利夫(専修大学)
- 前畑憲子(立教大学)
- 松尾 匡(立命館大学)
- 吉村信之(信州大学)
経済理論学会について詳しくは、同学会のホームページ
http://www.jspe.gr.jp/
をご覧ください。