- 季刊 経済理論 第48巻第2号(2011年7月) 特集◎廣松物象化論と経済学
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経済理論学会編
B5判並製/122頁
ISBN978-4-905261-61-2
定価2100円(本体2000円+税)
発行
2011年7月20日 - 目次
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[特集◎廣松物象化論と経済学]
- 特集にあたって 新田 滋
- 経済学と合理的個人--廣松渉の疎外論批判 石塚良次
- 廣松物象化論と貨幣的価値論--向井公敏氏の廣松批判に言寄せて 吉田憲夫
- 価値形態論における垂直性と他律性--関係に先立つ実体 大黒弘慈
- マルクスの物象化論と廣松の物象化論 田上孝一
[論文]
- 生産的労働概念再考 安田 均
- 置塩定理」に対する擁護論--Laibmanの議論の拡張および厳密化をベースとして 田添篤史
- 日本の外需依存的再生産構造の特質と変容--産業連関表から推計した部門構成の考察を中心にして 村上研一
- 構造変化と金融の不安定性 二宮健史郎/得田雅章
[書評]
- 除本理史・大島堅一・上園昌武著『環境の政治経済学』 吉田文和
- 長島誠一著『社会科学入門』 重田澄男
- 櫻井 毅・山口重克・柴垣和夫・伊藤 誠編著『宇野理論の現在と論点』 鈴木和雄
- 森岡孝二著『強欲資本主義の時代とその終焉』 芳賀健一
- 青柳和身著『フェミニズムと経済学(第2版)』 森田成也
- 横川信治・板垣 博編『中国とインドの経済発展の衝撃』 和田幸子
東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故についての声明 経済理論学会幹事会
経済理論学会第59回大会のお知らせ
論文の要約(英文)
刊行趣意・投稿規定
編集後記 松尾 匡
- 特集にあたって
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かつて、1960年代末から80年代前半にかけて、自己疎外論を批判し物象化論を提起した哲学者の故・廣松渉(1933-1994年)は、みずからの哲学的見地から『資本論』の読解を試みた。その成果は、『資本論の哲学』(1974年)、『資本論を物象化論を視軸にして読む』(1986年)に結実し、経済学界においても一定の反響と論争を呼び起こした。とりわけ、価値形態論をめぐる宇野・久留間論争に遡って、宇野理論を批判しつつ廣松の独自の見解が展開され、宇野学派との間に活発な論争が交わされた。また、廣松が喚起したともいえる価値形態論の哲学的解釈は、柄谷行人『マルクスその可能性の中心』(1978年)を触媒として、1980年代において、フランス構造主義・ポスト構造主義的なマルクス解釈論などとも連動し日本独特の展開を示すことともなった。
もとより、廣松自身の企図は、後期マルクスの物象化論なるものが、近代主客二元論−三項図式(ノエシス−ノエマ−レファレント)の地平を超克した、「共同主観性」、「関係の第一次性」、「事的世界観」、「四肢的聯関」の地平にあるという独自の”改”釈にあり、このような視座からカント、マッハ、フッサール等々の認識論哲学を止揚することにあった。マルクスの自己疎外論批判から価値形態論再解釈にまで及んだのも、まさしくそのような視座からであった。
そこでの眼目は、個別的な主観は社会的な共同主観性の物象化されたものとしてのそれに規定されたものとしてあるということであった(=存在被拘束性、理論負荷性)。だがそれはさらに、一人の認識者は個別的な主観と社会的な共同主観性とを切り替えることが可能な存在としてあるというものであった。そこから、廣松は、価値形態論における第二形態(拡大された価値形態)から第三形態(一般的価値形態)への転倒は、絶対時間・絶対空間が否定された相対性理論において距離や時間が異なって現象する異なる観測系の関係と同時に、「同一の事態を、双方の交換当事主体のどちらの側の視座に立って定式化するのか、ということに対応するものとして解決可能」(本特集・吉田論文、参照)であり、それが近代のパラダイムを超克する物象化からの解放なることを切り開くものだとしたのであった。たとえば、次のような文言は廣松の意想をよく集約しているといえよう。
「相異なる運動・観測系に所属する二人の観測者にとって、所与の物理現象の直接的現相は合致しない。一者にとっての対自的現相と対他的現相(すなわちもう一人の観測者たる他者にとっての現相)とは、直接的な所与性においては相貌が異なる。こうして、対自的現相と対他的現相とは相違するにもかかわらず、観測者たちは所与現相の観測的定式化(自己の属する観測系に即しての描写的定式化)に所定の変換を施すことによって、対他的見地を”脱自的”観念的に扮技することができ、当の事象を共同主観的に同一の相で認識・定式化することができる、云々。」[『事的世界観への前哨』勁草書房,1975年 173頁、熊野純彦編『廣松渉哲学論集』平凡社ライブラリー,2009年,401頁]
やがて、このような廣松哲学の論理構造が文化的・歴史的相対主義に親和的な性格を色濃くもっていることと符牒を合わせるように、比較的早かった晩年期に向けて後期の廣松は社会学的な役割理論を改作した役柄理論へと「共同主観性」論の内実を展開していった。(廣松役柄理論に制度論・進化経済学的な可能性をみようとしているものとして、石塚良次「廣松渉--四肢的存在構造論と経済学」『経済思想10』日本経済評論社,2006年 参照。)
だが他方で、廣松は、1960年代の国際的なマルクス文献学の勃興に歩調を合わせつつ、『ドイツ・イデオロギー』の編集問題について独自の見解を提起していた。また、やはり当時論争の的とされていた初期マルクスと後期マルクスの関連について、初期の自己疎外論は後期において乗り越えられ物象化論へとパラダイム・チェンジしたとする独自の主張を展開した。そうした中で、廣松が提起した『ドイツ・イデオロギー』の編集問題、自己疎外論問題、価値形態論解釈問題は、マルクス学派の内部に多様な論争を呼び起こしたのであった。しかしながら、マルクスの用語法をめぐる純粋に文献学的な領域ではすでに結果が出ていることも多いと思われるものの、価値形態論をはじめとして、より理論的な諸問題に関しては、廣松の問題提起をめぐって議論されていた諸問題は平行線のままに終始していた観があり、いささかも決着をみたわけではないと思われる。しかも、1980年代をつうじて世界的にマルクス離れの風潮が進む中で、こうした論争状況そのものが外的に風化を余儀なくされ、いつしか忘却の淵に追いやられていった。
恐らくそうした時期、社会主義への信奉がいささかも自明でなくなった1980年代以降、廣松は、物象化からの解放なることがいかなる意味で正当化されるのかをめぐって、「通用的正義」と「妥当的正義」なる言葉を使い分ける議論をするようになった。しかし、「通用的正義」=現在の多数派、「妥当的正義」=将来の多数派たることを期した学知的少数派と言葉を使い分けてみたところで、学知的少数派たる廣松の信奉する物象化からの解放なることが何故に根拠づけられるのかはいっこうに不明のままであった--そうした論議のためには少なくとも、廣松独自の社会主義を物象化からの解放なるものに結びつける論理の次元と、より一般的に問題となるミーゼス、ハイエク、ポパーなどによる社会主義計画経済計算問題に関する批判の次元との二重の議論が必要であったが、そのいずれも素通りされていた--。そのため、この論点をめぐっては少なからず批判がなされてきたが(たとえば、松尾匡「疎外論の問題意識と「物象化」論―廣松渉は何を誤読したのか―」『久留米大学産業経済研究』第44巻第1号,2003年 参照)、本特集の石塚論文、田上論文ではそれぞれの見地からそうした論点にも触れられている。
しかしながら、宇野学派的にいえば、科学とイデオロギーは分離されて論じられるべきであり、積み残された学知的諸課題はそれ自体として考究されるべきという立場もありうるであろうが(このような見地からの試みとして、新田滋「『資本論の哲学』を読む--価値形態論と『関係の階型性』--」『新・廣松渉を読む』情況出版,2000年 同『恐慌と秩序』情況出版,2001年所収。同「価値形態論と物神性論--廣松渉、柄谷行人による解釈の批判的再構築--」、『茨城大学人文学部紀要. 社会科学論集』第50号,2010年 参照)、本特集の吉田論文、大黒論文もそのようなものの一環として読まれるべきものであろう。
(中略)
本特集は、往時の論争に参加した論者だけでなくより若い世代も加わり、今日的な視点から改めて廣松物象化論と経済学の関係について論じてもらうことを意図したものであった。その成否は読者の判断に委ねられるが、経済学的・哲学的な論争の活性化の機縁ともなればこれにすぐる幸いはない。なお、当編集委員会でこの特集企画が最終決定されたのは、奇遇にも相互に無関係であったにもかかわらず、『資本論の哲学』が文庫化(平凡社ライブラリー)されたのとまったく同時期(2010年9月)であったことを附け加えておく。
(新田 滋)
- 編集後記
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3月11日、主に本号の編集のための編集委員会が専修大学神田校舎で開かれていたところ、断続的に大きな揺れに見舞われた。そのため、しばしば審議は中断され、避難のために7階の会場と地上との往復を繰り返したが、結局、1階ロビーに会場を移して、午後6時ごろまで審議を続行して議事を終えた。
そのかん、東北地方に震源があるらしいということや、新幹線が動いていないらしいという情報は伝わってきたが、遠方からの委員もみな当初は事態を軽く考えていた。後に知ったところでは、東京は震度5ということだったのだが、ときおり軽い余震が起こり、救急車か消防車のサイレンも聞こえる中、粛々と委員会を続けたのだった。
その後、ホールに移って、ようやくみな帰宅も電話もできなくなっていることを悟り、テレビに映る三陸の津波の光景に絶句した。編集委員会を行っているそのときに、被災地ではどんなに深刻な事態が起こっていたのか、はじめて思い知ったのである。ここに、犠牲になられたすべての方に深く哀悼の意を表し、また、被災から立ち上がろうと苦闘されている方々に強く連帯するとともに、ご本人、ご関係者が被害に遭われた会員・読者諸氏には心よりお見舞い申し上げるものである。
幸い、私も含む委員の多くは、専修大学と、同学関係の委員のご厚意により、暖房の入った広い教室に泊めていただき、毛布や湯茶などの気遣いもいただいた。おかけで、翌日には無事帰宅することができ、深く感謝する次第である。
しかし、費用と時間を余計に費やして、大きく迂回して遠方に帰宅した委員もおられた。被災地居住の委員には、数日がかりで艱難辛苦の末帰宅された人もおられる。その後も、余震や原発の不安の中、震災処理の本務や後片付けが重なる合間を縫って、編集の任務を果たされたことには、頭が下がる。
このような困難をくぐり抜けて、本号が無事滞りなく発行の運びとなったことは喜びに堪えない。読者諸氏には、本号発行にあたっての、このような編集委員諸氏の努力について、ご留意いただければ幸いである。
さて、今回はじめて特集の「副担当」をおおせつかったのであるが、何をすればいいのか要領を得ないまま終わったという感じである。結局、字句チェックぐらいのことしか貢献できなくて、心苦しく思っているところである。正担当の新田滋委員には、編集業務のほとんどを担っていただいて深く感謝している。
本号は、特集論文4本、投稿論文4本、書評6本からなる。
本号の特集では、「廣松渉」をテーマにしたが、今さらなぜ廣松なのかといぶかしく思われた読者諸氏も多かったことであろう。私が学生であった80年代前半においても、すでに自分の周囲に廣松を知っている者はほとんど誰もおらず、講義の中で言及されることも、メディアの中で見かけることもすでになくなっていた。当時私は、廣松も、廣松によって批判された過去の「疎外論」もほとんど知らないところで、マルクス疎外論研究に乗り出していたのである。
その後、ソ連も崩壊してマルクス主義そのものが衰退する中、廣松自身も亡くなりもう今年で17年になる。廣松の難渋きわまりない文体が、衒学的文章一般を限りなく忌避する今日の学生に受け入れられることもまずないだろう。マルクス経済学のアカデミズムの世界においても、廣松論にかぎらず、経済学の基礎カテゴリーを哲学的に吟味する仕事はまれになっている。本誌特集でも、格差・貧困問題や現代的労働問題、恐慌問題など、現代の経済現象と直接つながるテーマが--もとよりそれがとても重要なことであることは言うまでもないが--中心となってきている。
しかし、廣松が提起し、その批判者との間で闘われてきた論点は、決して大方が納得する形で解決しているわけではない。議論自体は忘却されてしまいつつあるが、その論点はむしろもっと先鋭な形で、我々にとってのすぐれて現代的な課題の前に横たわっているのではないだろうか。
例えば、アメリカ発グローバル経済の拡大に対する、世界各地の伝統的固有文化の反発に対して、どのような態度をとるべきなのか。文化価値観は共同主観的に形成されるものであって、実体的な根拠を持たない点で対等ということを根拠に、欧米と異なるイスラムの伝統を擁護するのか。しかし、まさにそう言って欧米流民主主義を拒否してきた中東諸国の為政者に対して、それが親米的であると反米的であるとを問わず、立ち上がった民衆が掲げている価値観には、かえって欧米流民主主義と共通する普遍性があるのではないか。
あるいは、マルクス経済学に至らないところがあったとしたらそれはどこなのか。近代経済学よりも物象化錯視なく外在的に物事を観ることができる点に優位性があるからとして、もっとイデオロギーを離れて客観科学に徹するべきだったのか。それとも科学の名のもとに価値観を押し付けるのをやめ、特定の価値観の主張であることを表に出すべきなのか。
また、「資本主義から社会主義への移行」という、個々人の意思を離れた自立法則が信じられなくなっている今、社会変革を求める根拠はどこにあるのか。「エコロジー危機」とか「欧米文明の没落と東洋の勃興」などの、新しい自立法則に根拠を求めるのか。それとも、現場で苦しんでいる個々人の、現状が不正であるという実感に、究極において根拠をおいていいのか。
そしてこれは、ハードであれソフトであれ国家権力による変革に重点を置くのか、それとも民間の事業の積み重ねに重点を置くのかという、社会変革論の対抗図式ともかかわる。物象法則に個々人が拘束されることを受け入れるならば、多数決にせよ独裁にせよ「合法則的」とされる変革の権力的強制は正当化される。しかし、強制を「疎外」として批判する立場からは、合意形成可能で、嫌なら退出できるくらいの規模での、日常事業の試みが志向されるだろう。
この意味で、今、廣松思想を思い出して批判的検討を行う意義はあると思う。本号の特集がこのために直接役立ったかどうかは読者の判断に任せたいが、今後これらの論点に関して、自覚的に議論が深まっていくことを期待したい。
(松尾 匡)
- 編集委員
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委員長
- 岡部洋實(北海道大学)
副委員長
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磯谷明徳(九州大学)
委員
- 後藤康夫(福島大学)
- 柴田 透(新潟大学)
- 清水真志(専修大学)
- 遠山弘徳(静岡大学)
- 新田 滋(茨城大学)
- 福島利夫(専修大学)
- 松尾 匡(立命館大学)
経済理論学会について詳しくは、同学会のホームページ
http://www.jspe.gr.jp/
をご覧ください。