- 季刊 経済理論 第47巻第3号(2010年10月) 特集◎労働論の現代的位相
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経済理論学会編
B5判並製/121頁
ISBN978-4-921190-77-4
定価2100円(本体2000円+税)
発行
2010年10月20日 - 目次
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[特集◎労働論の現代的位相]
- 特集にあたって清水真志
- 労働概念の拡張とその現代的帰結:フェミニスト経済学の成立をめぐって足立眞理子
- 自己の喪失としての労働:剰余労働=搾取論を超えて小倉利丸
- 接客労働の3極関係鈴木和雄
[論文]
- ウェイクフィールドの組織的植民論とマルクス:J.S.ミル,メリヴェールの議論をてがかりに井坂友紀
- Profit Sharing,停滞レジームと金融の不安定性 二宮健史郎/高見博之
- VARモデルを用いた日本経済の所得分配と需要形成パターンについての実証分析西 洋
- J.S.ミルの利潤率低下論と「停止状態」論前原直子
[海外学界動向]
- The World Association for Political Economy(世界政治経済学会)第5回大会に参加して瀬戸岡 紘
[書評]
- 高橋 勉著『市場と恐慌--資本主義経済の安定性と不安定性』長島誠一
- ハジュン・チャン著/横川信治監訳『はしごを外せ:蹴落とされる発展途上国』内橋賢悟
- 北村洋基著『現代社会経済学』一井 昭
[書評へのリプライ]
- 『「はだかの王様」の経済学』に対する書評(評者:松井 暁氏)へのリプライ松尾 匡
論文の要約(英文)
刊行趣意・投稿規定
編集後記(福島利夫)
- 特集号にあたって
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21世紀を迎えて早10年を数えようとしている現在,資本主義経済の変化の波が覆い重なって押し寄せている観がある。1970年代のポスト・フォーディズムの波,1980年代以降のグローバリゼーションの波,1990年代以降のIT化の波,そして2000年代以降の新自由主義の波,という具合にである。
むろんこれらの波は,必ずしも規則的に10年区切りでの生滅をくり返してきたわけではない。新自由主義の波についていえば,2000年代よりもかなり以前,サッチャーイズムやレーガノミクスの登場をもってメルクマールとする見方がむしろ優勢であるかもしれない。IT 化の波にせよ,ME 化の波との連続性を強く取れば,その発生時期は1990年代よりは前倒しになるものと考えなければならない。さらに,それらの波の何れも,福祉国家が解体し,資本主義経済がグローバル資本主義という新たな発展段階へと移行したことに伴う,諸々の余波にすぎないという見方も成立しうる。ただ,いかなる見方を採るにせよ,今日の資本主義経済が,歴史的に見てもそう前例の多くない大きな変化の潮目を迎えつつあること自体は,容易に否定しえないように思われる。
こうした資本主義経済の現局面を見据えた上で,資本主義経済の根幹をなす労働についての理論的考察を鍛え直すこと,あるいはそのための手掛かりを探ること,以上が本特集「労働論の現代的位相」の企図である。
議論の焦点は,自ずから二つに分かれよう。一つは,資本主義経済の変化とほぼ歩調を合わせるかたちで進行している,労働の現況の変化,および労働者を取り巻く現況の変化である。精神労働と肉体労働との分離,労働市場のグローバル化,IT労働の出現,そして近年の非正規労働問題など,労働の領域でもさまざまな変化の波が覆い重なり,大きく渦を巻いている様子は容易に確認することができる。おそらくこの渦は,何が「労働」であり何が「労働」でないかという境界線そのものの揺らぎを伴っていよう。そこでは,かつて「労働」とはみなされなかったような人間の営為,たとえば介護や育児,他人との感情的・情緒的なコミュニケーションなどからも,新たに「労働」の因子が検出され,市場を介した社会的再生産の処理機構のなかへと引き込まれてゆく。その動きは,市場と非市場との境界線の揺らぎや,再生産領域(生活過程)そのものの組み換えとも連動するものとして俯瞰することができる。さらに俯瞰すれば,「労働」の対概念をなす「搾取」にも,何らかの現況の変化なり,次元の更新なりが認められるかもしれない。すでに非正規労働をめぐっては,就業後の自由時間のみならず将来展望までを含めた「生きる意味の搾取」が指摘され始めてもいる。さしあたり,資本主義経済の現局面の俯瞰図のなかに“新たな労働”を位置づけ,その特性を押さえることは,今日の労働論にとって喫緊の課題になるものといってよいであろう。
もう一つの焦点は,とりわけマルクス経済学を中心として構築されてきた伝統的な労働論の再検討である。労働の現況の変化,および労働者を取り巻く現況の変化は,伝統的な労働論の側にも当然一定の見直しを迫ることになる。マルクスの労働概念をめぐってはさまざまな評価がありえようが,少なくとも「人間と自然との間の一過程(物質代謝)」という初発の労働規定が,製造業における生産的労働を典型視するかたちで組み立てられていることは否定しがたい。一匹のミツバチと一人の建築士とが対比される『資本論』の労働過程論の図式では,労働の対人的な側面,いわば「人間と人間との間の一過程」の側面は,始めから大きく後退せざるをえないのである。また労働組織についても,協業が「資本主義的生産様式の基本形態」であることの意味,流通労働・商業労働・事務労働における労働組織のあり方など,未決の理論的課題はなお少なくない。とすれば,マルクスの労働概念を多かれ少なかれ踏襲してきたといってよいマルクス経済学の労働論が,今日の労働論としてどこまで有効性を保持しうるのかは,基礎からくり返し検証されて然るべき事柄であろう。“新たな労働”の因子が,主として対人的な営為のなかから取り出されつつあるのが現状であるとすれば,尚更そういってよい。思うに“新たな労働”は,伝統的な労働論のなかに根本的に欠けていた分析視角を指し示し,伝統的な製造業における生産的労働についての理論的認識までを改めさせる可能性があるという意味において,いわば“新たな労働論”を胚胎させているのである。(以下略)
(清水真志)
- 編集後記
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いろいろな形で「労働」のあり方が現在問われている。その背景には、2005年あたりから「格差社会」が社会問題としてクローズアップされ、さらに2008年あたりからは「貧困社会」として焦点が深化して取り上げられるようになってきたことが挙げられる。こうした「格差と貧困」の根本には、「労働」をめぐる環境の大きな変化を見出すことができる。
かつては、日本の生活保障のシステムの中心に、終身雇用制・年功賃金制・企業別労働組合を特徴とする、いわゆる「日本的経営」という総体としての労務管理方式が強固に存在し、その安定的な労使関係の下で日本型企業社会が形成されていた。それは、大企業の男性・正社員モデルを基本にした、失業や転職が基本的に存在しない閉鎖的な労働市場である。そしてこの日本型企業社会は、家庭内の無償の女性労働という人的資源を「含み資産」として活用する日本型福祉社会と一体となって、国家責任としての社会保障制度を代替する役割を果たしてきた。これらによって、日本は未熟な福祉国家として存続することが可能であった。
しかし、日経連(日本経営者団体連盟)は1995年に「新時代の『日本的経営』」という方針を打ちだした。そこでは、労働者は3類型に区分されている。それらは、@長期蓄積能力活用型グループ、A高度専門能力活用型グループ、B雇用柔軟型グループであり、この中の@のグループだけが従来の長期雇用が保障される対象と考えられている。そして、こうした企業サイドの動きに呼応して、派遣業種の原則自由化を内容とする労働者派遣法の改訂を始めとした労働法制全般の規制緩和が政府サイドで進められた。
生活保障の最も基礎である雇用と賃金が不安定であれば、生活設計全体が不安定なものにならざるをえない。このことは、個々人の生活だけではなく、社会全体が不安定な状態となるということでもある。象徴的なでき事としては、2008年6月に起こった秋葉原の歩行者天国での無差別殺傷(被害者17人、そのうち7人が死亡)事件がある。犯人は静岡県にあるトヨタグループの関東自動車工業の工場で派遣労働者として働いていた25歳の男性である。また他方では、同じ年の12月末に、世界恐慌下での突然の大量「派遣切り」へのやむをえない社会的対処として取り組まれた、「年越し派遣村」という新しい社会運動が誕生したことも注目に値する。その場所は、他ならぬ霞ヶ関・官庁街の厚生労働省前の日比谷公園であり、集まった村民は505人、ボランティアは1674人である。
このような、「派遣労働」というキーワードに象徴される非正規雇用の増加は、国家による「社会保障」を代替してきた「会社保障」が生活保障のシステムとして十分に機能しないことを意味するが、この不安定な状態に追い打ちをかけたのが、もともと脆弱な社会保障制度のいっそうの弱体化である。この点は、社会保障の負担増と給付水準切り下げの両面で見られるものである。
こうした社会問題の厳しい進行を背景にして、小林多喜二の小説『蟹工船』が現代のワーキングプアに通ずるとして突然のブームを起こしたわけであるが、そればかりではなく、世界的にマルクスとその代表作『資本論』も再び注目を呼び始めたことも特筆しておく必要がある。さまざまな概説書や研究書ばかりではなく、なかなかよくできている『資本論』のマンガ版・劇画版まで含めて、まるでゲームの攻略本の出版であるかのように「『資本論』本」が続出している。この現象は大きな謎である。こうして、「蟹工船」、「資本論」、さらにそれらと並んで、上記の「年越し派遣村」の村長であり、『反貧困』(岩波新書、2008年4月)の著者である「湯浅 誠」という人名そのものが時代を表すキーワードとなっている。そして、これらのキーワードのすべてが、「労働」のあり方を問うている。
また、世界的にはILOが1999年に提起したディーセントワーク(まともな労働)の実現の課題がある。この課題は、2000年の国連総会で決議されたミレニアム開発目標にも取り入れられて、「女性と若者を含むすべての人々の、完全で生産的な就業とディーセントワークを達成する」ことがターゲットの一つとして掲げられていることも忘れられてはならない。
さて、本誌の今号の特集テーマは「労働論の現代的位相」である。これまでにも、「労働」に関しては特集「労働の<現在>を探る―連続と変化」(第43巻第4号、2007年1月)、特集「雇用と労働のゆくえ」(第44巻第3号、2007年10月)として取り上げているが、それらに続くものである。今号の特集3本の内容については、「巻頭言」でもそれらの概略が示されているので、詳しい紹介は避けておくが、「労働」概念の拡張、「搾取」概念の拡張、労働対象としての「顧客」が取り上げられる。それぞれにマルクス経済学の労働論をベースにしながらも、そこには収まりきれない論点を意欲的に展開したものである。
最後に、上に『資本論』ブームを「大きな謎」と書いたが、本学会が「学会の特色」の一つとして、「マルクス経済学を、現代における経済学(ポリティカル・エコノミー)のもろもろの流れの基幹的な部分として位置づけ、その資本主義批判および経済学批判の精神を受け継ぎます」(経済理論学会ホームページ参照)を掲げていることからすれば、本学会に期待されるその役割は大きいと言わねばならない。本誌に特集論文を寄稿される方々、論文を投稿される方々、そして論文を審査される方々と編集委員会一同の共同作業で季刊発行が成り立っている。今後もいっそうのご協力を切にお願いする次第である。
(福島利夫)
- 編集委員
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委員長
- 角田 修一(立命館大学)
副委員長
- 岡部 洋實(北海道大学)
委員
- 池田 毅(立教大学)
- 後藤康夫(福島大学)
- 柴田 透(新潟大学)
- 清水 真志(専修大学)
- 遠山弘徳(静岡大学)
- 新田 滋(茨城大学)
- 福島 利夫(専修大学)
- 松尾 匡(立命館大学)
経済理論学会について詳しくは、同学会のホームページ
http://www.jspe.gr.jp/
をご覧ください。