- 季刊 経済理論 第45巻第4号(2009年1月) 特集◎福祉国家の転型と再生
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経済理論学会編
B5判並製/108頁
ISBN978-4-921190-99-6
定価2100円(本体2000円+税)
発行
2009年1月20日 - 目次
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[特集◎福祉国家の転型と再生]
- 特集にあたって清水 敦
- グローバリゼーションと国民国家--福祉国家再編論争によせて 樋口 均
- パックス・アメリカーナと福祉国家岡本英男
- 変容する日本の社会保障制度田多英範
- 福祉国家の「変容」と「ワーク・ライフ・バランス」の論理--雇用・家族・ジェンダー原 伸子
[論文]
- 「企業の異質性」と企業分析への新視角--制度主義的企業論とレギュラシオン理論の観点から横田宏樹
- 資本蓄積と銀行の長期与信--均衡蓄積軌道の安定性について北野正一
- 接客労働の統制方法鈴木和雄
- カレツキアン成長モデルのミクロ的基礎阿部太郎
[書評]
- 秋山誠一・吉田真広編『ドル体制とグローバリゼーション』徳永潤二
- 内橋賢悟著『50-60年代の韓国金融改革と財閥形成--「制度移植」の思わざる結果』涌井秀行
論文の要約(英文)
刊行趣意・投稿規定
編集後記(稲富信博)
- 特集にあたって
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イギリスでサッチャー政権が誕生したのは1979年、アメリカでレーガン政権が登場したのは1981年であった。第二次世界大戦以降の先進資本主義諸国における経済社会体制の限界が、スタグフレーションの深刻化などのかたちで明らかになり、新たな体制が模索されていたなかで、これらの政権は新自由主義の理念とそれに基づく経済再生政策を掲げて政権の座についた。そしてこの時点から現在まで四半世紀強の時が経過した。サッチャー政権もレーガン政権も現実の政策運営は当初の構想通りには進まなかったし、路線の変更・修正もその後みられた。しかし、政策や国家体制が新自由主義的方向に進んだことは事実である。また同様の傾向はこれ以外の先進資本主義諸国においてもみられた。さらにこれとあわせて、金融の自由化や海外直接投資の増大などにより経済のグローバル化が進行したが、各国の政策等の新自由主義化とグローバル化とは、たがいに親和的であり、相互促進的であった。
昨今のグローバルな金融危機の拡大とそれと結びついた景気後退の深刻化は、新自由主義的体制やそれと連動する経済のグローバル化の深部にはらまれた構造的問題をあらわにしている。この金融危機は、アメリカにおける過度な不動産関連融資の拡大によるバブルに起因すると片付けられる性格のものではない。証券化の技術を利用して膨張した金融市場が安定的に機能し、債務不履行リスクさえも市場で取引し処理できるとした市場万能論の誤謬が明らかになっている。市場の機能や役割の見直しが求められ、市場を管理・規制し、市場に代替する主体の再評価が必要となっている。こうした主体には多様な存在が含まれるが、その中心となるのはやはり政府である。
新自由主義的体制の見直しは、他の面からも求められている。新自由主義は、政府・国家から自立した個人の自助の重要性を強調し、政府の介入の「行き過ぎ」を批判する。そしてプライヴァタイゼーションをキーワードとするような社会の再編が志向された。しかし、自立した諸個人が市場を通じて関係しあう社会において、各自の自助に任せることで効率的で公正な社会が実現されるという思想は、現実の前にその限界をあらわにしている。こうした理念にもとづく諸政策は、看過できない深刻な問題を発生させるとともに、社会の現実やその変容によってその意図の実現を阻まれてきた。その結果、政府や家族など市場原理によらない社会的ファクターの意味や役割の再評価が求められるようになっている。
この巻の特集では、「福祉国家の転型と再生」というテーマで、現在の福祉国家になげかけられている諸問題を考察し、その再生の可能性について考える。今、このようなテーマを掲げることの背景には、上で述べたような現在の状況があるといえるであろう。ただし、この課題に応えるためには、視野を現時点にかぎることなく、歴史的な検討を改めて行うことが必要である。福祉国家資本主義とも呼ばれる第二次世界大戦後の社会経済体制がそもそもいかなる存在であったか、1970年代以降の新自由主義的な方向への転換によって福祉国家が解体されたのか否か、以前と比較したとき近年の国家の新たな性格はどのようなものであるかなどについては、多くの共通する理解がある一方で、見解は必ずしも収斂してはいないからである。この巻に収められた4つの論文が歴史的な検討にも多くの頁を割いているのもそのためであるといえよう。
(以下略)(清水 敦)
- 編集後記
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本号の特集は「福祉国家の転型と再生」ですが,第55回大会共通論題「<格差社会>をどうみるか」や前号「日本資本主義は変わったか」に連なる問題意識から,発案されたものです。実質的な編集作業は,岡本英男会員から執筆候補者を推薦していただき,清水敦編集委員が担当されたものであって,私が編集後記を書くかは躊躇されました。
本号は特集論文4編,投稿論文4編,書評2編と,特集論文と投稿論文が同数である点で,学会機関誌としてはバランスのとれた構成となったと思います。もちろん,論文の内容に関しては各会員の忌憚のない論評を待ちたいと思います。
さて,『季刊・経済理論』は2004年の第41巻第1号から始まりましたので,本号でちょうどまる5年を経ていますし,編集委員会の活動も5年を経たことになります。『季刊・経済理論』刊行当初の編集委員会は,試行錯誤の毎日だったと推測されますが,次第に編集作業は精緻化され,現在では,編集作業はスムーズに進んでいます。しかしながら,編集委員会が抱える本質的問題は解決されてはいません。
まず,本号は幸運にも特集論文と同数の投稿論文を掲載することができましたが,各号が特集論文に依存していることは改善されるべきと考えます。ただ,どのように改善すべきは,『季刊・経済理論』が会員のための機関誌であること,『季刊・経済理論』が社会に対して経済理論学会が発信する主たるメディアであること,さらに機関誌売り上げとの関連,から難しい問題です。
また,レフェリーや書評執筆に関しては,特定の会員に負担が偏ることになっている現状は否めませんし,どのような特集を設定すべきかも編集委員会の頭痛の種です。幸い,レフェリーになっていただいた各会員の尽力により,投稿論文の審査作業はスムーズに進行しています。ただ,書評は対象とする分量が多いこともあって,書評原稿提出の遅延が残念ながら常態化しています。
以上,各編集委員が既に指摘されている諸問題を抱えながらも,特集論文やレフェリー,さらに書評を担当いただいた会員や編集委員それ自身の責任感やボランティア精神に支えられながら,『季刊・経済理論』が刊行されているのが現状です。
なお,投稿論文の審査にあたって,レフェリーには「そのまま掲載可」,「改善を条件として掲載可」,「大幅な改善を要するが,改善されれば掲載できる可能性がある」,「掲載不可」の4段階で判断いただいています。この2年間の数字を見ますと,数字の公表は避けますが,レフェリー制が厳格に実施されていることが分かります。
「大幅な改善を要するが,改善されれば掲載できる可能性がある」と審査された論文が,改善後掲載に至った事例も多くあります。このケースなどは,投稿者とレフェリーが『季刊・経済理論』の質を向上させようとする,共同作業として高く評価されるべきですし,レフェリー制導入の意義がここにみられます。もし,投稿論文が「大幅な改善を要するが,改善されれば掲載できる可能性がある」と審査されても,めげずに改善を加えて掲載を目指していただきたいと思いますし,審査報告はそうした激励を含んでいると理解して下さい。
ここでは,投稿論文の採択に関する情報公開を避けましたが,『季刊・経済理論』刊行からまる5年を経たのですから,今後の編集委員会でこうした情報公開が必要であるかどうかを議論していただきたいと考えます。
最後に,本号の編集をもって,2年間の編集委員を終えることになります。そもそも,2006年12月から第44巻担当副委員長となり,第45巻からは編集委員長を務める予定でした。しかし,昨年九州大学で開催された第56回大会準備委員会委員長に就任することになり,二つの重責を果たすことはできないとの私のワガママから,第45巻編集委員長を芳賀健一幹事に急遽お願いすることになりました。この場を借りて,芳賀編集委員長ならび編集委員会には厚くお礼申し上げます。
(稲富信博)
訂正:前号に掲載した金澤史男論文の「表3」の見出しを「公私両部門の社会支出(対GDP比)の国際比較」と訂正します。
- 編集委員
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委員長
- 芳賀健一(新潟大学)
副委員長
- 小松善雄(元立教大学)
委員
- 池田 毅(毅阪南大学)
- 石倉雅男(一橋大学)
- 稲富信博(九州大学)
- 佐藤 隆(大分大学)
- 佐藤良一(法政大学)
- 清水 敦(武蔵大学)
- 長島誠一(東京経済大学)
- 米田 貢(中央大学)
経済理論学会について詳しくは、同学会のホームページ
http://www.jspe.gr.jp/
をご覧ください。