- 季刊 経済理論 第45巻第2号(2008年7月) 特集◎現代の貨幣・信用論争
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経済理論学会編
B5判並製/100頁
ISBN978-4-921190-97-2
定価2100円(本体2000円+税)
発行
2008年7月20日 - 目次
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[特集◎現代の貨幣・信用論争]
- 特集にあたって大友敏明
- 内生的貨幣供給論と信用創造吉田 暁
- 「貨幣貸付資本と現実資本」論,その現代的意義--MEGA版(手稿)によって小林賢齊
- 金融資本主導下の貨幣的均衡--現代資本主義分析におけるポスト・ケインズ派とマルクス派野下保利
[論文]
- 軍事基地汚染問題顕在化の歴史的考察林 公則
- ごみ処理有料化とリバウンド現象柴田 透
[研究ノート]
- 中国産業連関表と線型経済理論李 幇喜
[書評]
- 岡本英男著『福祉国家の可能性』樋口 均
- ベルナール・シャバンス著/宇仁宏幸・中原隆幸・斉藤日出治訳『入門 制度経済学』磯谷明徳
- 小幡道昭・青才高志・清水敦編『マルクス理論研究』福留久大
- シルビオ・ゲゼル著/相田愼一訳『自由地と自由貨幣による自然的経済秩序』坂口明義
- アンドルー・グリン著/横川信治・伊藤誠訳『狂奔する資本主義--格差社会から新たな福祉社会へ』鍋島直樹
- 植村博恭・磯谷明徳・海老塚明著『新版 社会経済システムの制度分析』遠山弘徳
- ピーター・A・ホール,デヴィッド・ソスキス編/遠山弘徳ほか訳『資本主義の多様性-比較優位の制度的基礎』原田裕治
[書評へのリプライ]
- 『構造改革とサービス産業』に対する書評(評者:佐藤拓也氏)へのリプライ飯盛 信
論文の要約(英文)
刊行趣意・投稿規定
編集後記(米田 貢)
- 特集にあたって
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バブル経済が破綻した1990年代当初は,岩田規久男氏と翁邦雄氏による「現代の通貨論争」が貨幣・信用論のうえで大いに議論された。この論争は資産バブルの原因をめぐって争われたが,議論の争点は中央銀行のベース・マネーがマネーサプライを規定するのか(外生的貨幣供給論),それともマネーサプライがベース・マネーを規定するのか(内生的貨幣供給論)にあった。しかしこの論争をマルクス経済学の側から見れば,銀行学派の系列に属する内生的貨幣供給論を改めて確認することでしかなかった。とはいえ,この論争の中から古い論争が形を変えて現在まで争われてきたことには注目する必要がある。
その第1の論争は不換銀行券論争である。90年代に入って,不換銀行券は兌換を停止した紙幣ではなく,信用貨幣であるという不換銀行券=信用貨幣説が一定の支持を得てきた。こうした見解が出てくる背景には,金融不安が生じる中で不換銀行券といえども,中央銀行の「債務」であるので,支払手段の供給を行う中央銀行信用には経営上の限度があるということを重視しているからである。しかしこの不換銀行券の「債務性」の理解について,不換銀行券=信用貨幣説を唱える論者のあいだでも見解が分かれている。
第2の論争は信用創造論争である。かつての論争は銀行が貸し付けるものは貨幣か,信用かにあったが,現在の論争の中心は「貸借が貨幣を生む」のか,それとも「貨幣が貸借を生む」のかの対立である。同じ内生的貨幣供給論の立場でも,「貸借が貨幣を生む」という考え方からすれば,「貨幣が貸借を生む」という考えは最初に本源的預金(販売代金)ありきの発想で,この思考は本源的預金にもとづいて乗数倍の信用創造を説く外生的貨幣供給論と同じだと批判する。これに対して,「貸借が貨幣を生む」という考えは,まず銀行の貸借が預金通貨という貨幣を生み,銀行からの預金流出はやがてどこかの銀行に還流するので,銀行から流出する貨幣は銀行預金の「転型」にすぎないと見る。したがって銀行預金(派生的預金)と貨幣(本源的預金)を区別することは無意味であって,存在するのは預金と預金の転型した形態である貨幣であるので,そもそも本源的預金なるものは存在しないと主張する。
第3に,これは明確な論争という形をとっているわけではないが,マルクス経済学では資産バブルの問題を検討するときにはつねに「貨幣資本と現実資本」論の問題が浮上する。80年代盛んに議論された金融の肥大化論,金融の空洞化論などはつねに実体経済と金融経済との乖離あるいは両者の関係を問題にしてきた。外生的貨幣供給論は中央銀行のベース・マネーが自動的・機械的にマネーサプライを増加させ,これは同時に資産バブルを引き起こしたと主張したが,このマネーサプライの中には金融的流通への貨幣供給をも含んでいた。外生的貨幣供給論では,いわば流通は一色で産業的流通と金融的流通の区別もなかった。マルクス経済学の立場からすると,こうした考えは現代版の貨幣数量説にほかならない。現代版貨幣数量説を批判する視座は「貨幣資本と現実資本」論の問題である。金融的流通を含んだ形での貨幣数量説批判の理論が展開される必要がある。
以上のような問題関心をもって本特集は企画された。本誌では,こうした問題関心を共有し,この問題関心をさらに深めるために,最近精力的に執筆されている4人の方々に寄稿していただいた。
楊枝嗣朗氏には,不換銀行券=信用貨幣説の立場から,とくに信用貨幣の「債務性」について「貨幣と国家」の関連を軸に展開していただいた。吉田暁氏には,氏の内生的貨幣供給論と信用創造論を批判する研究に対して,とくに本源的預金を基礎に信用創造論を説く論者に対する再批判論文をお願いした。小林賢齊氏には,金融の肥大化論を深化させる意味でも,マルクスの「貨幣資本と現実資本」論の現代的意義をマルクスの草稿に即して検討していただいた。最後に野下保利氏には,マルクスの「貨幣資本と現実資本」論の問題を多角的に考察するために,マルクス以後この問題を扱っているポスト・ケインズ派の最近の研究をふまえて論じていただいた。
楊枝論文で注目すべきは,不換銀行券=信用貨幣説に立ちながらも,その根拠は吉田氏の信用貨幣説(発行還流)とはまったく異なっていることである。吉田氏が国家と信用貨幣を意識的に切り離しているのに対し,楊枝氏は信用貨幣を国家から切り離すのではなく,むしろ両者には密接な関係があることを強調する。氏によれば,鋳貨も中央銀行通貨も国家債務を支払う法定支払手段であって,信用貨幣である。この信用貨幣の「債務性」の根拠は国家が国家の借入を税で支払うという「ある種の契約」にもとづいている。信用貨幣は「契約貨幣」と言い換えてもよいであろう。国家が民間の支払決済システムの中心に特定の銀行を置き,その銀行券を中央銀行通貨すなわち法定支払手段とし,この中央銀行通貨でもって税の支払いと国家の支払手段という公的支払システムでも利用できるようにすると,国債の払込みや返済も中央銀行通貨で行えるようになる。こうして国家は鋳貨に依存しなくとも,中央銀行通貨を利用することで支払決済システムのメンバーになることができるという。
吉田論文の核心は,「貨幣がまずあってそれが貸借されるのではなく,逆に貸借関係から貨幣が生まれてくる」という西川元彦氏の見解を支持している点に端的にあらわれている。銀行が借入需要に応じ,その貸借が預金通貨を生むのが出発点であり,次にこの創造された預金が振り替えられ,預金と準備を失うが,銀行はこれに対処するために流出銀行券を集める。準備の不足が生じた場合には中央銀行信用でアコモデートし,銀行と中央銀行の過度の信用創造には金融政策で調節する。吉田氏の主張の根底にあるのは,現代資本主義のもとでの貨幣供給は銀行と無関係には存在しないという点である。遊休貨幣資本が循環・回転運動の中で形成されることを氏は否定してはいない。問題はこの遊休貨幣資本がどのような形態で存在しているかである。それは預金通貨であり,一部は中央銀行券という形で存在しているというのが吉田氏の結論である。
小林論文は,マルクスの「貨幣資本と現実資本」論の課題が「通貨原理」批判であること,したがってまた貨幣数量説批判であることを論じて,それは現代版貨幣数量説批判にも妥当するという。そのうえで小林氏は不換銀行券論争に対しても「貨幣資本と現実資本」論の記述をふまえて論じている。氏によれば,銀行制限下のイングランド銀行が銀行券を発行する権限を与えられているのであるから,その銀行券は国家によってのみ信用を得ているにもかかわらず,同行は国家に貸し付けて国家に利子を支払わせてもいる。マルクスがこのことを「尋常ではない」と指摘していることを氏は重く見ている。ここから氏は,不換のイングランド銀行券は銀行自身の信用ではなく,「国家の信用」によって「信用貨幣」となって券面にある額面相当の鋳貨を支払う「債務証書」になっているとの解釈を示している。これはイングランド銀行が国家の恩恵を受けているのに国家から利子を剥奪していると見るだけではなく,むしろ国家がイングランド銀行に国家債務を引き受けてもらうために不換銀行券に「債務証書」の性格を付与しているとも解釈することができる。こうした考えは楊枝氏の不換銀行券=信用貨幣説に一脈通じる論点である。
野下論文は,ポスト・ケインズ派の金融理論では現代の「貨幣」の大部分は銀行預金からなる信用貨幣と見るが,中央銀行券である現金も個人取引の部面では一部ではあるが流通していると見る。信用貨幣である預金と現金からなる通貨構造である。「銀行貨幣」が貸借関係を通じて生まれるという点では,吉田説と同じであるが,現金を認める点では,吉田説とは異なる。また内生的貨幣供給論も貨幣供給が完全に借入需要に従うとするホリゾンタリストは極端な内生説であって,この場合には民間銀行が中央銀行と借り手とを媒介するトンネルにすぎなくなるという側面を指摘している。ここから氏は,貨幣供給は貨幣需要とつねに一致するわけではないとして,信用割当や流動性選好説と内生説との再統合を図る動向(構造的内生説)に注目している。
以上のように取り上げた論点は現代の貨幣・信用論争の一部ではあるが,「現代の通貨論争」のあとに今なお論じられている争点である。今後,この論点がさらに掘り下げられることを期待したい。
(大友敏明)
- 編集後記
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昨年来、経済理論学会の幹事と『季刊 経済理論』の編集委員を仰せつかっています。ここ暫く経済理論学会にあまり顔を出していなかったことから幹事と編集委員ともに就任には躊躇もありましたが、できる時に少しくらいは恩返しをしておこうと引き受けることにしました。今回は、大友敏明氏とご一緒に本号の担当編集委員となりました。といっても、この特集企画は、特集の趣旨をお書きになっている大友さんの発案で、私自身は執筆者の原稿に目を通させていただいただけの担当委員です。ですが、その分特集号のできばえについてはより第三者的な立場から見ることができます。
特集が成功したかどうかの基本は、執筆者の方々の議論が内容的にかみ合ったものになっているのかどうか、そこで議論されている論点が、解明されるべき現実的な問題に対してどれだけ鋭く切り込むことができているのか、であると思います。それらの点で、4名の執筆者の提起された論点ならびにその絡み合い方は、現在進行中のサブプライムローン問題に象徴されるような現代資本主義経済の金融不安定性やその危機管理のあり方を考えるうえで、きわめて意義深いものがあるのではないでしょうか。企画者のご苦労が窺われますが、担当編集委員として自画自賛と叱られそうですから、後は会員の皆さんの評価に委ねることにしましょう。
もう一つ共同編集担当として、執筆者の皆さんが期日や執筆要綱等をしっかりと守ってくださり、編集委員会として大慌てする必要がまったくなかったことに感謝しています。私自身、他の研究者団体の編集委員をしていた時にこの苦労を何度か味わったこともありましたし、『季刊 経済理論』でもそのような事態に直面したこともあるとお聞きしていたので、今回余裕を持って桜井書店にお渡しできたことは嬉しいかぎりです。以前、民間の研究所(自然科学系)の方との話し合いの中で、「大学の先生はメールでの応答が悪い」との耳の痛い話を聞かされました。大学は元来「自立的な研究者・教育者の自治・連帯」の世界ですから、効率化オンリーの企業社会のルールに迎合する必要はありません。でも、原稿の締切日や執筆に際しての諸規則などやはり守るべきルールは、お互いに遵守していきたいものです。執筆者として最後の最後まで内容や表現の改善に執着したいという気持ちは十分に理解できますが、そこは研究者相互の扶助ということで、今後ともご協力のほどよろしくお願いいたします。
(米田 貢)
- 編集委員
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委員長
- 芳賀健一(新潟大学)
副委員長
- 小松善雄(元立教大学)
委員
- 石倉雅男(一橋大学)
- 稲富信博(九州大学)
- 植村博恭(横浜国立大学)
- 大友敏明(立教大学)
- 佐藤 隆(大分大学)
- 佐藤良一(法政大学)
- 清水 敦(武蔵大学)
- 米田 貢(中央大学)
経済理論学会について詳しくは、同学会のホームページ
http://www.jspe.gr.jp/
をご覧ください。