- 季刊 経済理論 第43巻第4号(2007年1月) 特集◎労働の<現在>を探る--連続と変化
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経済理論学会編
B5判並製/110頁
ISBN978-4-921190-91-0
定価2100円(本体2000円+税)
発行
2007年1月20日 - 目次
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[特集◎労働の<現在>を探る--連続と変化]
- 特集にあたって佐藤良一
- 社会経済システムの再生産と所得分配の不平等--剰余アプローチによる分析植村博恭
- 企業の雇用戦略と雇用システムの変容芳賀健一
- 木靴を履く--「生きた労働」の収奪‐搾取長原 豊
- <実質的自由>の実質的保障を求めて--ロールズ格差原理と潜在能力理論の方法的視座後藤玲子
[論文]
- 規範理論としての労働搾取論--吉原直毅氏による「マルクスの基本定理」批判再論松尾 匡
- 日本経済における1970年代以降の傾向的なマクロ動向阿部太郎
- 食品の安全性をめぐる国際交渉と貿易ルールの政治経済学--米国産牛肉を中心に山川俊和
[書評]
- SGCIME編『グローバル資本主義と企業システムの変容』柴垣和夫
- 板木雅彦著『国際過剰資本の誕生』上川孝夫
- 山口重克著『類型論の諸問題』梅澤直樹
- 北村洋基著『岐路に立つ日本経済』半田正樹
- 八木紀一郎著『社会経済学--資本主義を知る』佐藤 隆
[書評へのリプライ]
- 『東アジア経済論』に対する書評(評者:平川均氏)へのリプライ涌井秀行
論文の要約(英文)
刊行趣意・投稿規定
編集後記(吉原直毅)
- 特集にあたって
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1980年代以降に進められてきた雇用の多様化(と僭称される雇用の不安定化)は有期雇用・契約社員・派遣労働者・パート労働者などの非正規雇用を大量に生み出し,すでに全雇用者の3人に1人が非正規雇用となっている。最近の10年間で正規雇用は約460万人も減少している。若年者のなかには三つの否定形で語られるしかないニートという存在(“Not in Education, Employment or Training”)がある一方で,働いても,働いても暮らしの糧を十分に得られない存在=働く貧困層 (“Working poor”)が目立つ。これは働く人々をめぐる<現在>の一端に過ぎないが,明らかに労働環境は大きく変貌している。IT 時代とはいえデジタル的にすべてが一挙に変わってしまうわけではなく,過去との連続性も認められる。
本特集の目的は,連続と変化という複眼的な思考法を維持しつつ,労働(実態的には雇われておこなう労働)をめぐって何が起きているのかを実証的に明らかにすると同時に,理論的に解き明かさねばならない課題が奈辺にあるのか,そして現実の変化を受けて,経済学の理論的枠組みの何を維持し,何を改変していかねばならないかを捉え直すことにある。そこで四つの視点から労働の<現在>を探ろうと試みた。第一に社会経済システムが諸制度に媒介されて再生産され,剰余を生み出しているという理解から分配問題を検討することである。第二に社会経済システムを構成するサブシステムの一つである雇用システムの変容を企業の雇用戦略に焦点を絞って分析すること。第三が分析概念としての「搾取」の有効性を反省的に検討すること。そして第四は規範的観点から分配問題を再考することである。特集に寄せられたそれぞれの論攷はこれら四つの視点から執筆された。
なぜ労働に関心を寄せるのであろうか。完全にオートメーション化された社会経済システムが実現不可能なのは自明である。自動機械としての社会実現を夢想したとしても,それは生きた人間が織りなす社会たり得ない。人間が生きていくためには生きた労働が費やされねばならないという冷徹な事実から逃れられない。それゆえに私たちは常に働くということに関心を払わねばならないのである。誰がどのように/どのような労働を担うのか,人々が協働して得られた成果がどのように分配され,その結果人々の暮らし向きはどうなるのか。こうした問いへの解答は社会経済システムの有り様に依存する。それゆえ人々が安心して働き生きていける社会経済システム=オルタナティブを構想し,実現へ向けた具体的道筋を示すことが経済学(ポリティカル・エコノミー)の責務であるとの意見表明に異を唱える者はいないはずである。
実証的・歴史的・理論的・規範的というように異なる形容句が付されるとはいえ,特集論文は生きた労働の<現在=ありのままの姿>と向き合いつつ,示唆に富む多くの論点を提示し,議論を展開している。多岐にわたる議論のなかから,<社会構想>という眼をとおしたときに私たちが真摯に受け止め,今後協働して分析を深めねばならないポイントを確認しておきたい。
植村論文は「剰余アプローチ」を基礎に分配理論を再構築することを目指す。資本主義を固定的に再生産されるシステムとしてではなく制度的可変性を許容するシステムと把握することの重要性が強調される。この認識によって効率性と平等性を両立させる制度的条件は何かを構想する道が開かれるからである。
芳賀論文は連続と変化の両面に注意を払いつつ雇用システム総体の変容を分析している。雇用システムを (働く人々にとって好ましいように)再構築するためには企業の雇用戦略は「ハイ・ロード High road」に転換されねばならないことが結論される。現在の多くの日本企業が採用している,対立と不安定,管理と労働者への厳しい懲罰に依拠する「ロー・ロード Low road」戦略は捨て去らねばならない。構造改革が求められるのは<企業経営>自体なのである。
長原はその冒頭において「<収奪_搾取>概念はいまや宝物殿に引き籠もって鎮座する退蔵物と化した」と断ずる。その上で「労働(力)の収奪_搾取を措いて資本を有意味に論ずることが可能だろうか?」と自問する。両極分解した欧米における搾取論--分析的マルクス派による搾取の「一般理論」化とネグリに代表される<収奪_搾取>の否定存在論という対蹠的な二潮流--を批判的に整理する。両者はともに広義の収奪論に帰着するのであるが,搾取を生み出す根拠を匡正する主体の<構想>は異なる。長原はいずれの論が妥当性をもつかについて論じていないが,資本制経済が<機械的にみずからを再生産できる人間労働なき自動機械>を渇望しようとも生きた労働を商品化するという「無理」から逃れられないこと,したがって搾取論はこの点を回避し得ないことが説かれる。「無理」に依拠して辛うじて成り立っているシステムならば,「無理」を強いられている主体が労働を拒否するのも<一つの構想>足りうるかも知れないが,戦略はそれに限定されるわけもない。例えば,“Real Freedom for Al”を掲げる基本所得<構想>は資本主義の論理も社会主義の論理をも超える可能性を秘めていると評価されることもある。後藤論文はこの構想に孕まれている方法論的問題点をロールズの格差原理,センの潜在能力理論を参照しつつ検討している。すべての人々に実質的自由を保障する仕組み=オルタナティブ構想を可能にする経済学方法論の模索作業でもある。
<木靴を履く>ことが単なる鬱憤晴らしに終わるほどにシステムは頑健なのだろうか。そうであるならば,木靴に代わる……を,といった問題意識が拡がることを期待している。
(佐藤良一)
- 編集後記
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本号は特集論文4本、投稿論文3本、書評5本と書評に対するリプライ1本からなる。本号のこれまでにない特徴は、初めて日本人非学会員の方(後藤玲子氏)に特集論文に寄稿して戴いた点である。ご多忙の中、依頼を快諾された後藤氏には感謝に堪えない。また本号では、特集依頼論文に関しても、担当編集委員としてレビューを行った。従来は特集依頼論文はノー・レビューで無条件に受理していた筈であり、今回も特集論文全てではなく、担当編集委員の専門領域に関わる一部の論文に限ってインフォーマルに行っただけであるが。時間の制約もあり、そのレビュー・コメントがどう最終原稿に生かされたか迄は確認できなかったが、しかし少なくとも、論文の大幅な改善の機会を提供する事は出来た筈である。望むらくは、もっと時間的余裕を以って執筆依頼者に初稿を投稿してもらい、担当編集委員が責任を持って必要な限りの論文改善の為の「審査コメント」を送った上で、最終稿を纏めてもらうべきであろう。ここでの「審査コメント」は水準以下の論文をリジェクトする為ではなく、あくまで最終稿の可能な限りの改善の為である。この種のレフェリー・プロセスは、International Economic Association のConference Volume出版の際にも実行されており、招待・依頼論文だからといって、無条件に原稿受理するわけではないのが、世界の経済学会での常識である。
これまでの「編集後記」でも、しばしば、本雑誌の編集方針についての論及が為されているので、折角の機会であるので、本誌編集委員を1年余り勤めた経験に基づき、『季刊 経済理論』を真に開かれた審査制学術誌としてより良くする為の私見を少々、披露したい。本誌は審査制度をかなり実質的かつ厳密に実行しており、その点は十分に評価に値すると思う。しかし、特定の思想集団の機関誌や閉じられた研究仲間の交流の為の「サークル誌」などではなく、あくまで審査制学術誌として離陸する上では、以下の点の改善が不可欠であろう。
第一に、審査制学術誌の生命線の一つは、いかに水準の高いレフェリーのプールを確保するかである。その点で、レフェリーは学会員に限るとする現状の方針は、致命的な欠陥である。『季刊 経済理論』が主な掲載目的とする研究分野には、本学会員ではない研究者もかなりの程度、存在する。特に、近年の本誌の傾向として、マルクス経済学の数理的展開や、より標準的なミクロ・マクロ経済学のモデル分析手法による論文の投稿数や掲載比率の増加があるが、本学会員内でこうした論文の審査を廻していこうとすると、容易にレフェリー資源の枯渇問題に突き当たる事になる。閉じられた会員同士の交流を目的とするのでなく、高質な審査制学術誌としての離陸が目的であるならば、レフェリーが学会員であるか否かという問題は本質的ではない。非学会員であっても審査員として最も適当だと思われる研究者に依頼し、常に雑誌の公共財としてのレフェリー・プールの改善・拡充の努力を払う事が不可欠なのである。
第二に、現状の編集委員会の機能は、審査制学術誌としてのクオリティーの維持・向上の為の主体的機能を編集委員が十分に発揮できない体制になっている。例えば、投稿論文の掲載可否決定の際に、論文担当編集委員はレフェリー・レポートの評価の範囲内でしか意思決定できない。しかし、どんなにレフェリー選抜が慎重なプロセスだったとしても、そのレフェリーが常に適切な評価レポートを書くとは限らないのであって、それゆえに著名な審査制国際学術誌では通常、担当編集委員がレフェリー・レポートの適切性まで含めて判断する。とくに担当論文が自分の専門領域である場合には、自ら審査レポートを書いたり、不適切なレフェリー・レポートは掲載可否決定の判断材料にしない等のフレキシブルで主体的な機能を発揮するのが通常である。そうした主体性発揮の場を最初から剥奪するべきではない。論文を投稿する側から見れば、担当編集委員がどれだけ主体的に有能な役割を果しているかが雑誌のクオリティー判断の一材料であったりするのだから。学術雑誌にとっての重要な価値基準はそのクオリティーを最大限向上させる事であって、「民主主義的意思決定」の実現ではないだろう事を留意すべきである。
第三に、論文の投稿数の少なさがこれまでの「編集後記」でも散々、指摘されてきたが、そうした事態は雑誌立ち上げ間もない若い審査制学術誌が必ず直面する困難である。その困難を克服する為の常道は、まずは編集委員たちが責任上、自ら良質な論文を書いてその雑誌に積極的に投稿する事である。そうした良質論文の掲載の連続で、その雑誌への評価が上がり、投稿数が増えていくのである。しかるに本誌の場合、編集委員は任期中の論文投稿を禁止されている。編集委員の投稿論文の審査プロセスには匿名性確保に困難があり、公平性に欠くというのが主な理由であるが、そのような問題は他の審査制学術誌の経験を踏まえても、いくらでも技術的に解決可能である。
最後に、以上の指摘に関して予想される反論が、「本学会の特殊性」論である。比較的共通の方法論を持つ主流派経済学の学術誌と違って、多様で異質なアプローチの並存する本学会の学術誌では、上記のような方針を遂行するのは困難である、と言われる。しかし共通の方法論を持つ学会であっても、学問的見解の衝突・対立は往々にして生じているし、研究者の良心として、単に自分と違う意見の論文だからという契機で掲載拒否を要求する審査レポートを書くのは、その研究者自身の見識が疑われるというものである。私は本学会の会員の大部分もこの種の研究者としての「良心」を兼ね備える者として、十分に信頼に足ると想定しているが、それは間違いなのであろうか?
(吉原直毅)
- 編集委員
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委員長
- 菅原陽心(新潟大学)
副委員長
- 屋嘉宗彦(法政大学)
委員
- 青才高志(信州大学)
- 出雲雅志(神奈川大学)
- 大友敏明(山梨大学)
- 北川和彦(立教大学)
- 佐藤良一(法政大学)
- 二瓶 敏(専修大学・名誉)
- 松本 朗(立命館大学)
- 吉原直毅(一橋大学)
経済理論学会について詳しくは、同学会のホームページ
http://www.jspe.gr.jp/
をご覧ください。