物語としての社会科学:世界的横断と歴史的縦断 竹内真澄著

<個人の自立>の徹底によって近代主義を超える可能性
―人称論を手がかりに、現代の世界社会像を構築する清新な社会科学論!
- 四六判/上製/468頁
- ISBN978-4-905261-06-3
- 本体4200円+税
- 初刷:2011年12月20日
著者の言葉
目次
- まえがき
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第一部 三人称と社会認識の論理
- 第1章 社会科学の規範的基礎をめぐって:吉野源三郎『君たちはどう生きるか』を読む
- 第2章 「夕鶴」の射程:木下順二ヘの社会科学の応答
- 第3章 三人称としての社会科学:<コミュニケーション的生産力>に立脚した言語へ
- 第4章 三人称の超近代主義的可能性
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第二部 <市民の自立>から<万人の自律>へ
- 第5章 <自立した個人>の概念について
- 第6章 <自立した労働者>の概念について
- 第7章 市民概念を超えて
- 第三部 アメリカ・日本・東アジアと生存権の論理
- 第8章 アメリカ史像の転換と日本版「啓蒙の弁証法」
- 第9章 アメリカ個人主義と社会的シティズンシップの分裂
- 第10章 戦後日本の公共性の変遷
- 第11章 戦後民主主義から社会文化まで
- 第12章 帝国臣民から傀儡国民へ
- 第13章 戦後責任と東アジア共同体
- 第14章 生存権の歴史的位相と論理
著者
竹内真澄(たけうち・ますみ)
1954年,高知県生まれ
桃山学院大学,社会学部教授
京都自由大学,講師
書名の『物語としての社会科学』について若干の説明をしておく。社会科学というものは、書かれていることが客観的であるというばかりでなく、そこに主体であるところの自分の居場所を見出すに足る感じを与えてくれるような固有のジャンルでありうるのではないかということである。通常、社会科学は、複数の時点のあいだの因果連関、同一時点の複数の要素のあいだの論理的連関、そして記述されている登場人物の抱く意味連関を記述するが、それらをさらにうまく組み立てていけるならば、あたかも一つの物語であるかのように現われる。ちょうどそれは、優れた短編小説が人生をわずか数ページで表現してしまうのと似ている。読み手である私は、いっそう限定された歴史的社会的文脈に組み込まれ、そこから逃げることはできなくなるだろう。そういうかたちで成立する一種の被縛感のもとでのみ、人間は一個の課題的存在へと、非常にゆっくりと、育つもののように思われるのである。