20世紀末バブルはなぜ起こったか-日本経済の教訓 古野高根著

元金融マンが書いたバブル論
バブル経済を金融ビジネスの第一線で経験した著者が理論的・実証的に問い直す。
日本の経験は生かされたか?
- 四六判/上製/284頁
- ISBN978-4-921190-53-8
- 本体3500円+税
- 初刷:2008年11月5日
著者の言葉
目次
- はじめに
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第1章 20世紀末バブルとは何か
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第1節 20世紀後半の欧米経済と日本
- 1 第二次世界大戦後の世界
- 2 その変容
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第2節 20世紀末バブルの発生
- 1 戦後日本の景気循環と比較しての特異性
- 2 バブル形成のプロセス
- 第3節 バブルの定義
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第1節 20世紀後半の欧米経済と日本
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第2章 資本蓄積:20世紀末バブルの原因(1)
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第1節 資本蓄積と景気変動
- 1 マルクス学派の過剰蓄積と恐慌
- 2 長島誠一のスタグフレーション論
- 3 宮崎義一の「複合不況」論
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第2節 高度成長と過剰蓄積の進行:データによる検証
- 1 国民経済の成長と屈折
- 2 産業構造の変化
- 3 企業の成長と変質
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第3節 金余りの進行
- 1 資金需給と金融資産
- 2 企業金融
- 3 家計収支と貯蓄
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第4節 過剰蓄積論の説明力
- 1 20世紀末バブル
- 2 米国大恐慌
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第1節 資本蓄積と景気変動
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第3章 長期波動:20世紀末バブルの原因(2)
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第1節 長期(コンドラチェフ)波動とその系譜
- 1 コンドラチェフの指摘
- 2 景気循環理論と長期波動
- 3 加藤雅の長期波動論
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第2節 20世紀末バブルと長期波動
- 1 長波のクロノロジーと20世紀末バブル
- 2 長期波動説の説明力
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第1節 長期(コンドラチェフ)波動とその系譜
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第4章 心理要因:20世紀末バブルの原因(3)
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第1節 市場価格か? バブルか?
- 1 米国における株価形成論争
- 2 20世紀末バブルをめぐって
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第2節 20世紀末バブル形成期における心理要因
- 1 バブル現象と心理要因
- 2 心理要因計量化の試み
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補論 経済変動と心理要因の系譜
- 1 景気循環と心理
- 2 心理増幅のプロセス
- 3 バブルと心理要因
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第1節 市場価格か? バブルか?
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第5章 制度要因:20世紀末バブルの原因(4)
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第1節 制度は経済活動にどのように影響するか
- 1 比較制度分析と蓄積の社会的構造(SSA)理論
- 2 資本主義成立後の日本経済の変化
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第2節 「制度」の形成と硬直化
- 1 終戦から高度成長期まで
- 2 高度成長以後
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第1節 制度は経済活動にどのように影響するか
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第6章 20世紀末バブルとは何であったのか
- 1 資本蓄積説
- 2 長期波動説
- 3 心理要因説
- 4 制度要因説
- 5 総括
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第7章 20世紀末バブルの整理過程:なぜ長引いたのか
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第1節 企業
- 1 産業別の動向
- 2 リストラの進行
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第2節 銀行
- 1 不良債権の発生とその処理
- 2 銀行の機能不全
- 第3節 家計
- 補論 残された問題と21世紀になって発生した課題
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第1節 企業
- 第8章 結論と政策的含意
- 付録1 20世紀末バブル形成期における経済動向と論文・新聞報道
- 付録2 参考文献一覧
- 事項索引
- 人名索引
著者
古野高根(ふるの・たかね)
1938年,福岡県生まれ
1962年,東京大学経済学部卒業
住友銀行調査第二部長,取締役審査第二部長を経て
1990年以降,住銀リース専務取締役,ティーケイビル社長等を歴任
現在はニチハ監査役
この間
2004年,放送大学修士(学術)
2007年,東京経済大学博士(経済学)
20世紀末バブルは戦後幾多の景気循環のなかでも特異な経済変動であった。それまで繰り返されてきた景気循環としての側面も併せ持つが、なによりも株価、地価の暴騰・暴落が激しかった。それは列島改造論が言われた1973年のブーム期にも経験したことだが、規模がまったく違った。それに比べて物価の上昇など経済活動の過熱はさほど大きくない点が特徴であった。これまでの景気過熱とはまったく違った経験に戸惑い、識者、マスコミ、政策当局の対応も、新しい社会現象の紹介やこれに対する迎合、既存の価値基準による一方的な批判に終始するばかりで、これを冷静に分析して政策対応を模索する動きは少なかった。
バブル形成期にはエコノミスト、経済学者の意識はきわめて希薄で、経済評論の世界でも1986年までは円高不況、大恐慌再来の可能性などにとらわれていた節がある。したがって株価・地価の高騰についても当初は「日本的経営」の勝利とか、「東京国際金融都市」とか、肯定的かつ楽観的な受け止め方が主流であった。一方、経営者の側では本格的な国際競争の時代、金融自由化の時代を迎えて、これまでの政策的庇護の下で国内シェア獲得にしのぎを削った時代から、国際的市場での収益競争の時代に入ったとの認識のもと、新しい収益機会を逃すまいとの意識が強かった。マスコミの財テクなどについての取り上げ方もむしろ肯定的ですらあった。円高不況対策としての内需拡大も、1987年2月の公定歩合2.5%への引き下げ、5月の6兆円の財政支出になると、資産価格への影響は決定的になる。その後、株価はタテホ化学工業の財テク失敗やブラックマンデーなどでいったん反落し、地価は下落しなかったものの、議論の方向は犯人探しから政治問題化していった。 吉野俊彦は、卸売物価指数、消費者物価指数にストック価格を加えた総合購買力指数を作ることを提案して、1987年8月時点で、これで見ればすでにインフレが進行中である、と物価動向とは別に資産価格の異常さに警告を発した(おそらくバブルを指摘した最初のエコノミストではなかったか?)。一部の経済学者の間でも土地の需給問題にまで踏み込んだ政策論も交わされたが、結局これらはうやむやに終わった。むしろ1987年暮れから88年にかけての株価再上昇、地価の地方への波及は経済回復の成果と受け取られた。1989年に入って日本銀行はようやく公定歩合の引き上げに踏み切るが、大蔵省の不動産融資総量規制は1990年の3月で、すでに時機を失したものであった。
バブル崩壊後も銀行不祥事の続発、証券損失補問題などのスキャンダルの追及に追われて、不動産融資問題の深刻さに対する警鐘は打たれなかった。1992年の公的資金の投入を示唆する宮沢首相の発言も、銀行儲けすぎ論、銀行員高給論などの感情論にかき消されて、公的資金の投入も1995年までもつれ込むことになる。しかし構造改革に手間取った電機や自動車、鉄鋼などの一部の企業は別として、バブルの崩壊と景気の下降局面で致命的な打撃を受けたのは卸小売業、不動産業、建設業のバブル業種とそれに貸し込んだ銀行であった。なかでも銀行は不動産担保固有の問題もあって処理が後手に回り、世論の厳しい批判を受け、その処理はさらに遅れた。遅れたことは損失の拡大を招き、信用不安を呼び、銀行の機能自体が損なわれかねない状況に陥り、今度はこの対策に右往左往する羽目になったのである。
振り返って、バブルについてはこの20年余、目先のことに追われ、マスコミの報道に振り回されて冷静に問題の本質を検討することがなされなかったのではないかとの思いが、筆者には強い。筆者は1980、90年代の金融関係に身をおき、渦中でバブルの形成と崩壊を眺める立場にあった。そこで強く感じたことは、センセーショナルなマスコミの報道とは異なり、経済の世界でなぜこのようなことが起こるのかという率直な疑問であった。その意味でもわれわれの身辺に起こったことを改めて客観的に問い直し、後世に残すべきものは何かについて真剣に考えるときが来たといえるのではなかろうか。