プラトンの国の先住者たち 加藤一夫著

奇想 古典シアター!
プラトンが構想するポリスに先住せしめられた人びとの独白をとおして『国家』(ΠΟΛΙΤΕΙΑ)を読み解く。プラトンがソクラテスをして語らしめなかった「理想の国」の裏舞台。
- 四六判/上製/336頁
- ISBN978-4-921190-46-0
- 本体3200円+税
- 初刷:2007年12月10日
著者の言葉
目次
- まえがき
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第1章 プラトンが創り成しつつある国
- ポリスAの生い立ち
- 労働が支えるポリスの秩序
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第2章 アテナイの歴史に学ぶ
- 民主政へのみちのり
- 臣民の軍隊と市民の軍隊
- アテナイ民主政の光と影
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第3章 プラトンが理想とするポリスとは
- 贅沢と戦争と軍隊と
- 素質の「優劣」-上下に繋がる三つの階層
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第4章 再びアテナイの歴史に学ぶ
- ポリス世界を二分しての戦争
- 戦い続けて、その果てに
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第5章 われらがポリスAはかくありたい
- 「自由な労働」をもとに民主的な秩序を
- 予想される貧富の格差
- アテナイにおける共有の思想
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第6章 プラトンの軍団がやって来る
- ケパロスの家で語られたよしなしごと
- 屈辱の日々に思う
- あとがき
- ギリシアの古典の原題
著者
加藤一夫(かとう・かずお)
1925年,秋田市に生まれる
1949年,東京商科大学卒業
現在,静岡大学名誉教授
- 『テューダー前期の社会経済思想』(未来社,1966年)
- 『トマス・モアの社会経済思想』(未来社,1990年)
- H.R.シューアル『価値論前史』(未来社,1972年)
- J.ステュアート『経済学原理』(第1,第2編上・下)(東京大学出版会,1980〜82年)
私はかつて『トマス・モアの社会経済思想』という著書を公けにした(未來社、1990年)ことがあった。
トマス・モアはロンドンの法律家の家に生まれて、みずからも法律家として身を立てた人である。しかし彼は、カンタベリーの大司教であったジョン・モートンの小姓を勤めたことがあって、その縁から少年時代にオックスフォード大学に入学し、イタリア帰りの教師たちのもとで文芸復興の息吹に触れることがあった。しかも、そのゆえか、法律家として一家を成すにいたってからも、モアはルネッサンス・ヒュマニストとして名のあった年長のデシデリウス・エラスムスとの交友を深めていったのである。そして、その交友から生まれたのがエラスムスの『痴愚神礼讃』(Encomium Moriae)であり、続いてはモアの『ユートピア』(Utopia)であった、と考えることができるであろう。
1511年に出版された前者は、カトリックの高位聖職者や諸国の王侯貴族などが、モア(More)をもじった痴愚の女神(Moria)に操られているかのごとくに、愚かしい行為に手を染めてはヨーロッパを戦乱の巷としているさまを諷刺したものであったが、それから数年後の1516年にエラスムスの協力によって出版された後者は、15世紀の後半から展開されていた牧羊囲い込みと、それによる農民たちの悲惨な状態を目にしての、財産共有社会の構想であった。
モアは「イングランドの羊」が「大食になった」ことを憂い、ために村を離れて流浪せざるをえない農民たちが盗みをしては処刑されて死にいたることに正義を超えた厳しさを感じて、まずは生活の方途を失った者たちのために正業の創出されんことを願ったのである。さりとて、テューダー王朝の対応からして、そうした願いも無駄とあれば、あとは囲い込みと羊毛の販売にいそしみおる貴族など土地所有者たちの貪欲を声高に論難するしかあるまい。しかしながら、それら土地所有者のなかには修道院の院長までもが含まれていることを知ってみれば、おのが利益を追求しつつある者たちへの貪欲批判の空しさは明らかであろう。そしてまた、かの者どもが痴愚神に指図されているのだと笑いのめしているわけにもいくまい。かくしてモアは、エラスムスよりも一歩前に出て、財産の私有が人間の貪欲を誘発するものと考え、財産共有のもとですべての人が豊かで幸せなユートピア新島(noua insula Vtopia)について語るにいたる。
財産共有というモアの構想は、少年の頃からの思想遍歴からして、おのずと古代ギリシアのプラトンの主著『国家』から得られたものである。されば、モアによれば、共有の国は智と徳に優れたる人物によって創成されなくてはならない。そこで、アメリゴ・ヴェスプッチの航海記に依ってか、モアは赤道の南方に位置する私有と放埒の国をユートプスなる哲学者をして軍事占領せしめ、その国を新しい島に造成せしめたうえで、そこに財産共有と国民皆労の制度を確立せしめたのである。しかもまたモアは、ユートプス王の分身ともいうべき「学者身分」なるものを創設し、この身分の者たちが各都市や国の政治を指導し、また外交官や聖職者の役割を担うべきものとしたのであった。してみると、モアはまことに厳しいプラトニストであったかのごとくである。
しかしながら、プラトンの『国家』において財産が共有されるのは哲人王の指揮下にある戦士たちの集団においてだけのことであって、彼が理想とする国の国民の大多数を占めるはずの先住者たる民衆は共有の埒外にあってひたすら労働し、その所産の多くを「守護の報酬」として軍団に提供すべきものとされていたのであった。
そのことはモアも承知のことではあったが、資本の本源的蓄積の全過程の基礎をなす農民からの土地収奪が進行し始めたイングランドの現実を前にして、農民たちの不幸の根源を財産の私有にあるものと考えた彼は、プラトンの共有思想に示唆を得ながらも、それとは違ったところの、財産共有と国民皆労とをもととした独自の「社会の最善政体」を構想するにいたったものと思われる。
かくして、いずれも財産共有を標榜した著作でありながら、『国家』と『ユートピア』とでは、それぞれに描かれた国家の様相ははなはだ異なっている。とりわけ、労働によって国家を経済的に支えるべき者たちへの対応はプラトンとモアとでは対照的ですらあると言わざるをえない。
ところが、経済学史学会の編纂に成る『経済思想史辞典』(丸善、2000年)において私がモアについて記述したところでは、右のような二つの国の対照的な様相についての説明は、紙幅の制約もあってか、必ずしも適切ではなかったかのようである。そして、そのような思いで『国家』を読み直しているうちに、私はいつしかプラトンの国に先住せしめられた者たちの眼から彼の理想国を観察してみるのも有意義であろうと思い立つにいたったのであった。
とはいえ、先住者たちの意向や見解が『国家』のなかに示されているわけではない。周知のように、プラトンはおのが師と仰ぐソクラテスを主役とした対話編をいくつか書いていて、『国家』もまたその一つなのである。この著作でソクラテスは、友人や知人などを相手に、プラトンが理想とする国家像を語ることになるのであるが、その語りのなかで、理想の国に最初に住まうことになるのは農工商の民なのであって、それからなにがしかの年月の後に哲学者と戦士たちが入国して来ることになる。ここに「プラトンの国」はその全容を現わすにいたるけれども、しかし、軍団の支配を受けることになる先住者たちがどのように反応するかについてはソクラテスは黙して語らないのである。したがって、それについては読者がそれぞれに判断せざるをえない。読者の一人である私が遠い昔のプラトンの国の先住者たちの思いを正しく聞き取りえているとすれば、幸いなことである。
(「まえがき」より)