歴史のなかの移動とネットワーク〈メトロポリタン史学叢書1〉 メトロポリタン史学会編

〈メトロポリタン史学叢書〉創刊第1冊
人の移動に着目し、 定住を前提に構築されてきた歴史像・歴史認識の枠組みを問う。
- 四六判/上製/240頁
- ISBN978-4-921190-47-7
- 本体2700円+税
- 初刷:2007年12月15日
叢書創刊の言葉
編者の言葉(編集担当者の「はじめに」より)
東西両陣営の敵対した冷戦が終わりを告げてから、はやくも20年近くの歳月が過ぎ去った。このかんにアメリカを核にしたグローバル化が急激に進展し、人、モノ、カネ、情報が国境を越えていよいよ頻繁に行き交うようになった。この現象は人類発展のある種の帰結であるといってもよいが、しかし、そこにはときに地球規模に広がる深刻な矛盾が不断に随伴している。
現実社会の激変をまえにして歴史学もまた大きな変貌を遂げ、歴史認識にたいする根底的な疑問さえも呈されてきた。とりわけ1990年代以降、自明であった国民国家という歴史認識の枠組みを批判し再検討に付す試みが積極的かつ意識的に繰り広げられたが、そこには県や市など国民国家内の行政的区画をも自明の枠組みにしないという志向性が胚胎されていたと思われる。そうしたなかで多くの歴史家の関心を引きつつあるテーマのひとつとして、移民、難民、転居等々、人の移動をあげることができる。こうした移動への注目には、歴史認識の枠組みを問うという以前に、定住を当然の前提に構築されてきた歴史像、社会像を修正ないし書き換えるという期待が込められている。
(中略)
人の移動は、いろいろな契機や目的があるだけでなく、定住か一時的滞在か、単身か集団か、等々、実に多様な形態をとった。また、移動はネットワークが形成されるきっかけとなり、ひとたび形成されたネットワークは移動を支え、また移動を左右したのも確かである。ここにいうネットワークは、交通機関、情報通信網など物質的な設備を媒介にして、人と人を政治的・経済的・社会的・文化的に結び付けるが、そのとき、移動にともなう危険に対処しようと何らかの装置が設けられる。ネットワークのあり方はやはり多面的なのである。したがって、移動とネットワークは、それぞれがそれ自体として検討の対象となりうる。そして、そこから新たな問題群と知的地平が広がる可能性は大きい。
こうして多様なかたちをとる移動とネットワークの絡みにおいて、多くの研究者の眼差しは、人を送り出す側にせよ受け入れる側にせよ、在地の定住社会へと向けられ、その相貌が新たな角度から照らし出されることになる。そうした照射によって、近代国家の出現以降の時期については国境や行政区画が、それ以前であれば常識化したやり方にもとづく地域などの空間区分が、しばしば相対化されてきたし、これからも相対化されてゆくことであろう。実は、こうしたヴェクトルを孕むところに移動とネットワークをとりあげる現在的な意義があり、その先には、定住をベースとした社会像、歴史像の修正、再検討が展望されるように思われる。この点をネットワークに即して、もう少し突き詰めてみよう。
人と人の結びつきをめぐっては、社会史の定着とともに、南フランス研究に起源をもつソシアビリテ(社会的結合)という概念が用いられ、支配・従属といった縦の関係に水平方向の関係性を対峙して新たな展望を切り開くツールとなってきた。この概念はもともと心性(マンタリテ)と不可分に用いられたため、人と人の線的な結びつきを指しながらも、同時に、人びとのあいだの共同性にもとづく面的な広がりを含意するという特徴をおびた。しかも、共同性の実感という点から、比較的限られた広がりで適応されていた。ソシアビリテには一定の境域が認められ、内における均質性や一体性が強調されがちだったのである。ところで、ソシアビリテが南フランス以外の地域でも適用されはじめると、必然的に、もともとの特徴を修正する動きが生じ、とりわけ、わが国の二宮宏之がその修正に込めた狙いは明白であった。すなわち、ソシアビリテとは相互に矛盾や対立を含んだ人的、社会的関係(絆、しがらみ)であり、したがって、その領域はただちに一体性や均質性をおびないこと、また国民という規模においてもソシアビリテは有効性をもつこと、この二点である。ただ、このような試みには長短両面があり、いうなれば両刃の剣でもあったように思われる。二宮によって修正されつつ導入されたソシアビリテが、わが国の歴史学が1980〜90年代に当面した事態のなかで、どのような機能を果たしたのか、改めて問うてみるべき問題が、ここにはある。
筆者の見るところ、ネットワークという概念は、東アジア・東南アジアあるいは地中海などの交易ネットワークや、イスラーム世界の都市における人的関係などに即して、おおいに用いられてきた。ところで、いずれの場合でも、ネットワークが何らかの契機でまとまりをなすことで、地域を形成するとの考え方が展開されてもいる。このようにネットワークは地域と関連づけられ、ちょうどソシアビリテが心性と絡むことで境域を画したように、優れて面としての質を獲得する。かつて板垣雄三の提起したn地域論によれば、地域は一個人から地球にいたる範囲(領域)で設定されるというが、こうした地域論をも視野におさめることで、方法概念としてのネットワークが鍛えられてきたのである。ただ、地域論との接合がときにネットワークの強みを削ぎかねない危険をともないはしないだろうか。
さて、ソシアビリテや地域との比較において、ネットワークの特質を示せば、次のようになるだろう。その形態や内実はどうあれ、ものともの、人と人、集団と集団をつなぐ様々な関係こそがネットワークとしてとらえられており、線とその集合としての網の目という基本的性質はどこまでも消えない。とすれば、網の目として境界や境域が想定されるとしても、それを超えていく契機が不断に孕まれていよう。また、お互いに結ばれているものや人がたとえ異質であり、バラバラであったとしても、何ら不都合はない。ものや人や集団が何らかの共通性、共属性、共同性をおびる必要はなく、それらがまとまることで一体性や同質性をなすかどうかも問題ではない。線とその集合としてのネットワークは、個人と個人をつなぐレヴェルからはじまり、国民の範囲はもちろん、ついには地球規模においても想定可能であるが、いったん想定された枠組みが相対化される余地が常に存在している。このはみ出してゆく性質こそがネットワーク論の有する知的衝撃力であり、今日、この概念がいよいよ頻繁かつ広範に使われる理由であるように思われる。
(以下略)
中野隆生
目次
- はじめに
-移動とネットワークとその周辺 中野隆生 -
日本における村落・都市形成に係る木材調達システム
-施設増改築時の建築材獲得技術と供給林・材移送ネットワーク構築の動向 山田昌久- はじめに
- 1 考古学からの初期村落整備史
- 2 大径木分割製材技術と畜力利用土木技術による古代都市形成
- 3 大型船による海上移送の拡大と日本列島の搬送可能地の森林消費
- 4 江戸・大坂への人口集中と森林資源の生産経済化
- まとめにかえて
-
中世武士の移動の諸相
-院政期武士社会のネットワークをめぐって 川合 康- はじめに
- 1 京への出仕
- 2 内裏大番役
- 3 女子の婚姻関係
- 4 亡命・流刑
- 5 武士社会のネットワークと内乱
- おわりに
-
知識を求める移動
-ハディース学者の旅の重要性の論理 森山央朗- はじめに
- 1 知識を求める旅の理念
- 2 学問的活動としての旅の理想
- 3 学問的実践における旅の位置
- 4 旅が象徴するもの
- おわりに
-
中世ジェノヴァ人のキオス進出史の動向 亀長洋子
- はじめに
- 1 代表的研究と史料
- 2 課題と展望
- おわりに
-
16世紀イベリア両国の東アジア進出
-ヴィリャロボス艦隊の事例を中心に 清水有子- はじめに
- 1 サラゴサ条約とヴィリャロボス艦隊の派遣
- 2 ヴィリャロボス艦隊の使命
- 3 フィリピン原住民社会との接触
- 4 モルッカ諸島における攻防と投降の決断
- おわりに
-
近代広東人移民のビジネスと慈善 帆刈浩之
- はじめに
- 1 中国移民史研究における幾つかの論点
- 2 広東人移民の慈善ネットワーク
- 3 カナダ華商のビジネス展開
- 4 書簡に見る慈善とビジネス
- おわりに
-
亡命と移民の間で
-ルイージ・カンポロンギの生涯を通して 北村暁夫- はじめに
- 1 フランスにおけるイタリア移民と亡命者
- 2 自由主義期のカンポロンギ
- 3 カンポロンギと反ファシズム運動
- おわりに
執筆者(執筆順)
メトロポリタン史学会編
メトロポリタン史学会は首都大学東京の歴史研究者を中心に結成された学会です。
詳しくは、下記をご覧ください。
http://www.geocities.jp/metropolitanshigaku/
執筆者(執筆順)
- 中野隆生(なかの・たかお) 編集担当・首都大学東京都市教養学部教授
- 山田昌久(やまだ・まさひさ) 首都大学東京都市教養学部教授
- 川合 康(かわい・やすし) 東京都立大学人文学部准教授
- 森山央朗(もりやま・てるあき) 日本学術振興会特別研究員
- 亀長洋子(かめなが・ようこ) 学習院大学文学部准教授
- 清水有子(しみず・ゆうこ) 首都大学東京・花園大学非常勤講師
- 帆刈浩之(ほかり・ひろゆき) 川村学園女子大学文学部教授
- 北村暁夫(きたむら・あけお) 日本女子大学文学部教授
メトロポリタン史学叢書の発足に際して
2005年4月、東京都立大学は、首都大学東京の創設にともなってここに併合され、都立大学史学科は消滅の憂き目を見た。しかしこれを機に、私たちの史学科が半世紀余にわたって培った学問的伝統を守り、一層の発展を図ろうという機運がにわかに高まり、首都大学東京発足直後の4月23日、これを結集する場としてメトロポリタン史学会が結成されたことは、禍を転じて福となすとも言うべき快挙となった。幸いにも、私たちの史学会創設には、都立大学の卒業生や首都大学東京の教員・院生・学生はもとより、他の大学や研究機関に所属する有力な研究者諸賢からも強い賛同をいただき、進んで会員になる方や、研究発表を快諾される方に恵まれ、今や新進の史学会として成果を重ねつつある。
メトロポリタン史学叢書は、私たちが開催したシンポジウムや研究会での報告を論文に仕上げたものを軸に、これらを書物として発刊し、その成果をより広くより確実に広め、多方面からのご批判を仰ごうとするものである。この叢書には、メトロポリタン史学会の目指す視座、すなわち世界史的視野に立っての歴史学の見直し、未開拓な歴史分野の開発、民衆の視点からの歴史学の再建等、かつて都立大学史学科が培った学問的伝統を、現代の観点に立って発展させ、新鮮なインパクトを発揮したいという熱情がこめられている。
この叢書に対し、内外の識者からの建設的な批判を期待してやまない。
メトロポリタン史学会