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近代イギリス地方自治制度の形成  野村秀和編
近代イギリス地方自治制度の形成

「地方自治の母国」といわれるイギリス近代的地方自治制度が形成される過程をとおして「公共性」を担う地方政府の登場とこの国に特殊な「行政」権の生成とを実証的に検証する。

A5判/上製/292頁
ISBN4-921190-30-5
本体5800円+税
発行
初刷:2005年7月5日

著者の言葉

イギリスでは1970年代末から開始されたドラスティックな改革が今なお続き、それまで堅固な伝統とされてきた統治構造上の諸制度が次々に改変されている。経済が猛烈に落ちこむなかで登場したサッチャー政権は、公的部門の縮小と民間部門の拡大という新自由主義的改革路線を、とりわけ地方自治領域において強力に推進し、不可逆的な改革の流れに先鞭をつけたことで知られる。この国の地方政府は、もともと、豊富な自治サービスの提供主体として福祉国家を支える重要な制度的基盤であったから、戦後福祉国家体制を根底から否定しようとした彼女は、まずは地方に対し執拗な攻撃をかけたといえよう。

例えば、都市部における多様なサービスの提供を包括的に担ってきた大ロンドン都議会(Greater London Council)や大都市圏カウンティ議会(Metropolitan County Councils)の廃止、地方政府が歳出額に応じて納税額を自律的に決定できたレイト(rate)(地方税)制度に対する直接介入とその廃止、一定のサービスにつき直営現業組織と民間事業者との間で競争入札を義務づけ失敗すれば当該組織を解体するという強制競争入札制度(compulsory competitive tendering)の導入、医療・教育・住宅等の分野で地方政府が担ってきたサービスを移管するためのクワンゴ(Quangos)と呼ばれる単一目的の非公選団体の設置など、そこで行われた改革は様々であった。

近年、わが国でも、多くの自治体が深刻な財政問題を抱え、それを解決しようと、これらの改革のもつ有効性に注目が集まっている。しかし、イギリスにおいて以上のごとき改革手法がとられたのは、それが普遍的な可能性をもつからというよりは、むしろ対象のもつ固有の性格に規定されたところが大きい。ここで標的にされたのは、この国に独自の地方自治制度である。それは、一九世紀に形成され、その後いくつかの変化を伴いながらも基本的な枠組みを変えることなく、今日まで維持されてきた近代的な制度である。

その特徴をあげようとすれば、次のように整理できる。

まず第一に、単一の地方政府が数多くの機能を持つという多機能性(multifunctionality)である。地方政府は、住民に身近な存在であるとの理由から、その生活にかかわるサービスを直接提供する主体と理解され、したがって、地方政府は当該地域の特性に応じて必要なサービスを柔軟に提供してきた。ここでは、大陸的な地方と中央の事務配分という発想はみられず、専ら地方政府が多様な役割を一手に引き受けるという構図が一般化している。

第二に、様々なサービスを提供する際に前提とされるべき広範な裁量権である。そもそもイギリスの地方政府は、「国会主権(Parliamentary Sovereignty)」原理の要請で、その設立から権限、内部構成にいたるまで国会制定法により統制されている。そのため、地方政府が活動する際には、常に制定法上の根拠が必要とされ、それを欠けば、たとえ地域住民の利益向上を目的とした行為であっても、裁判所は権限踰越(ultra vires)として無効の判断を下すとされている。その枠組み自体、わが国にはなじみのないものであるが、事態をさらにわかりにくくしているのは、このような統制があるにもかかわらず、地方政府は、事実上相当な裁量権を行使してきたという点である。中央政府は、地方政府との間で「合意と協議」という関係を保ちながら、地方の実質判断を尊重する傾向にあったし、裁判所もまた、制定法上の権限に付随する領域を合理的な範囲で認め、地方政府が独自の判断で活動する余地を容認してきたのである。その背後には、長きにわたる自治の伝統が大きく横たわっていると考えられるだけに、容易には説明しがたい実態といえる。

第三に、課税権である。地方政府は、レイトに関し課税評価額の決定から税率の設定、徴収にいたるまでを包括的に管轄し、一連のサービスにかかる財源をそこから充当することができたのである。福祉国家体制が本格的に展開していくなかで、中央政府の交付金や補助金への依存率も高まるが、それでも、基本的な支出はすべてレイトで賄われ、地方の財政的自律性を確保してきたといわれる。

第四に、代表制に関する特徴ももっている。地方政府には包括的なリーダーシップを行使する首長が存在せず、公選された議員から構成される地方議会が、全体として立法機能と行政機能をあわせもつ。議会には、サービス内容ごとに委員会が設置され、ここで具体的な意思決定が行われると同時に、そのもとにおかれた事務組織の執行に責任をもつことになる。 このような特徴をふまえれば、地方政府を「船の漕ぎ手」から「舵取り」へと変えつつあるサッチャー以来の諸改革が、この国の伝統ともいうべき近代的地方自治制度の根幹を直接ねらい打ちしたものであることがわかろう。だからこそ、彼の地イギリスでは、四半世紀にわたる改革の結果が、「地方自治の終焉」をもたらすとまでささやかれるのである。それにもかかわらず、例えば、「近隣地域再生(neighbourhood renewal)」の分野で開始されつつある地域住民自身を含めた粘り強い自治的試みを目の当たりにするとき、そうした悲観論とは別に、伝統的な精神は今なお生き続けているとも実感させられる。そして、中央集権的傾向が一貫して強固なわが国からすれば、住民自治的性格をかくも色濃くもつ地方自治制度が100年以上もの間維持され、制度の大きな転機に立ち向かいながら依然として脈を打ち続ける現実の姿に、驚かされるのである。

近年、日本でも「地方分権」が叫ばれ、まさに地方自治の激動期に入りつつある。そしてその際、イギリスをはじめとした諸外国の改革動向に範を求めようとする傾向が強い。しかし、地方自治の歴史が未だ浅いわが国において、住民意思に基づく「公共性」の実現主体として今後の自治体像を構築しようとするならば、改革手法の安易な移入に終始するのではなく、それをも包摂する過去の豊富な経験にあらためて目を向けるべきと考える。

とりわけ、本書が対象とするイギリスの場合、眼前で推移する事象であっても、それだけで理解しにくい部分を多く含んでいる。しばしば「地方自治の母国」と称されるイギリスではあるが、そこに現れた諸制度は、ある時点における特定の理念に基づき体系的に整備されてきたわけではない。むしろ、常に過去の継承を基本としながら、時代の要請に応じ試行錯誤を繰り返し、結果として漸次的かつ柔軟な変容を遂げてきたとの印象が強いのである。そうであるとすれば、たとえ今日の現象を捉えるにあたっても、時間の経緯のなかで重層的に積み重ねられた多様な人間的営為を切り捨てることは、重大な誤解を招くだけでなく、本来参考にされるべき事柄を見落とすことにもつながりかねないと思われる。

そこで、本書では、以上のような問題意識に立ちながら、強靱な生命力を保持する近代的地方自治制度が、どのように形成され、いかなる構造をもつにいたったのかを、歴史実証的に明らかにしていくことにする。議論の対象となるのは19世紀の改革であるが、連続した変容過程に着目するとの視点から、その前提となる18世紀の統治構造にも射程を広げることにする。そして、これら一連の作業をとおして、現代にまで続くこの国の地方自治制度の原像が確かめられればと考えている。

目次
  • 第1章 前史-「名誉革命体制」期における統治構造-
    • はじめに
    • 第1節 「土地財産」を基礎とする社会構造
    • 第2節 「国会主権」原理の実態-中央政府及び国会の脆弱性-
    • 第3節 「法の支配」原理の実態
    • 小括
  • 第2章 近代的地方政府の形成-「共同利益」を実現する団体から「公共利益」を実現する団体へ-
    • はじめに
    • 第1節 1835年以前における都市法人の基本性格
    • 第2節 都市法人の実態とそれに対する政治的対処
    • 第3節 1835年都市法人法
    • 小括
  • 第3章 近代的地方政府の始動-「自発性の原則」に基づく自治的活動-
    • はじめに
    • 第1節 1848年公衆保健法の成立とそれに対する批判-「地方の自己統治」対中央集権-
    • 第2節 1858年以降の改革動向-「自発性の原則」の成立-
    • 第3節 王立衛生委員会と1875年公衆保健法-「自発性の原則」の制度的定着-
    • 小括
  • あとがき
  • 人名索引
  • 事項索引
  • 制定法索引
  • 判例索引
著者
岡田章宏(おかだ・あきひろ)

1955年,名古屋に生まれる
1980年,名古屋大学法学部卒業
1986年,名古屋大学大学院法学研究科博士課程修了
名古屋大学法学部助手、神戸大学教育学部講師を経て、現在神戸大学発達科学部助教授
専攻 イギリス法・比較社会規範論