- 桜井書店-大本営に見すてられた楽園 -玉砕と原爆の島テニアン 石上正夫著
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こんなことが…あったのか
大本営に見すてられ,兵士たちは「玉砕」した。住民たちは逃げ惑い,命を落とした。日本人が血と汗を流して建設した滑走路はB29の発進基地となり,東京をはじめ全国の都市を焼き尽くした。そして原爆を抱えたB29(エノラ・ゲイ,ボックス・カー)が,ここテニアンから広島・長崎へ飛び立った。
「玉砕と原爆」の島テニアンの悲劇の歴史は,日本の戦争指導者たちの無策と無責任ぶりを際立たせる。
「美化される歴史」のこれが事実だ
歴史教科書には書かれていない。だが,記憶し・記録しておきたい歴史がここにある。
四六判/上製/242頁
ISBN4-921190-11-9
本体2200円+税
発行
初刷:2001年8月8日 - 著者の言葉
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太平洋マリアナ諸島テニアン島の子供たちは,海と星と太陽に恵まれ,南洋の豊かな自然のもとで,のびのびと生活していた。子供たちのとって,テニアンは楽園であった。かけがえのない自然に満ちた楽園を,一挙に打ち砕いたのが戦争であった。その戦争は,大本営が作戦放棄を決定して,島々を見すてた「玉砕」戦であった。
見すてられた戦場で兵士たちはどのように生きのびようとし,どのようにして死ぬ覚悟を決めて,敵陣に斬り込んでいったのか,非情な戦争の本当の姿を知りたいと思わせたのは,テニアンの生なましい戦跡であり,洞窟に放置された遺骨を手にした時である。
父母,兄弟姉妹,妻や子のいる祖国を守るために兵隊は戦い死んだ。小さな島にとり残され,銃弾を撃ちつくし,全滅した兵隊たちを「玉砕」という美辞麗句で締めくくってしまっていいのだろうか。テニアン戦を語ってくれた人たちの証言は,大本営の「玉砕神話」を根底から覆した。
かつての日本人町に残っているコンクリートの残骸の砲弾に撃ち抜かれた壁に「テニアン□□警防□□□分□本部」と読みとれる戦いの跡に立った時も,砲撃で爆破された砲台跡に立った時も,見すてておいて「玉砕」の一言ですませてしまった大本営に疑問と憤りを押さえることができなかった。
大本営の参謀たちは,「絶対死」の突撃命令をくだして,8000名の将兵と邦人3500名を死に追いやっておきながら,その責任を負うこともなく敗戦を境に転身してしまった。
敗戦から五十数年,人びとはテニアン島を忘れた。子供たちの楽園であったテニアンは「玉砕」の島となり,日本人が血と汗を流して1年10ヵ月かけて建設した滑走路はついには原爆機の発進基地となり,広島で長崎で人びとは劫火に焼かれた。そのテニアン島を忘れていいのだろうか。
ところがいま,「戦後の『平和主義』が日本をダメにした」「『公』=国のために命を捨てた特攻隊に国民は学ぶべきだ」といったような,戦争を知らない世代に戦争を煽るナショナリスト集団が,大手を振って歩くようになった。
また,「アジア・太平洋戦争は欧米列強からアジアを解放する戦いであった」として侵略戦争を否定し,日本軍の残虐行為などなかったと史実を歪曲する歴史観・歴史教科書が教育の場に持ち込まれてきた。
私たちが長年積み重ねてきた「戦争責任」「戦争犯罪」の追及は,おかしな状況の到来によって新たな決意をもって再出発しなければならない時代を迎えた。
2001年7月 石上正夫
- 目次
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- はじめに
- 第1章 悲劇の序曲
- 第2章 テニアン飛行場をつくった人びと
- 第3章 日米太平洋戦略のちがい
- 第4章 第一航空艦隊航空基地
- 第5章 新京丸の奇跡
- 第6章 米軍のテニアン上陸前の猛爆撃
- 第7章 日本軍の悪戦苦闘
- 第8章 兵士たちのテニアン戦
- 第9章 集団自決した家族
- 第10章 戦場を脱出した少女たち
- 第11章 米海兵隊員の見た日本軍最後の突撃
- 第12章 日本本土空襲
- 第13章 1945年8月6日午前8時16分
- 第14章 広島で長崎で
- おわりに
- 著者
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石上正夫(いしがみ・まさお)
東京空襲を記録する会理事